負けるわけにゃいきまっせんばい! 67
翌日の朝、東京駅から新幹線に飛び乗り千葉氏と合流。電車の中で台本を読ませてもらい、太秦の東映京都撮影所に着きますと、企画部の一室に、プロデューサーをはじめ、監督さんたち制作関係者が待っておられまして、まずはともあれお互いに自己紹介。と……、いきなり「石橋さん、台本は読んでいただけたと思いますが、この中で、どの役がおやりになりたいですか? 勿論、主役の〈剣琢磨〉は千葉ちゃんに決定していますから、それ以外の役でですけど……」ってお聞きになられるんです。いや、驚きましたね。なにしろ俳優になって此の方、こんな経験は初めてですから。正直、面食らったものです。思わず「えっ? 私の勝手な願望でもいいんですか?」と聞き返しましたら、「ええ、ま、そんなことです」っておっしゃるんですね。ですから、「私の希望を言ってもいいとおっしゃるんでしたら、この〈剣〉と対決する相手役の〈志堅原楯城〉をやりたいたいですね」と正直に申しましたところ、「いやあ、当方としても、それを考えていましたから万々歳ですよ」と言うことで、あっという間に話が決まってしまったんです。まあ、本当に二度びっくり。世の中、ある社会現象の中で、タイミングよくチャンスを掴み、いい流れに乗る時ってこんなものですかね。悪い時と言うのは、あれほど、神経症になるくらい悩み、必死になって努力をしても、何ら報いられることなく、蟻地獄のように、あがいてもあがいても、どん底へと引きずり込まれ、なかなか這い上がれないのが現実のように思えますけど――。
そんなことで、ここに、東映ニューフェイスからアクションスターとして、頭角を現してきていた、日体大出身の千葉真一氏、新劇の出で、全日本空手道剛柔会教士六段(当時)、日大芸術学部演劇学科出身の石橋雅史、その時、私の妹役で出演し、その後東映のアクション女優として主役を張る、ジャパンアクションクラブの志穂美悦子という、当時、東映空手映画のトライアングルと言われた、三人衆が出来上がったわけです。 つい先日、東京撮影所のプロデューサー太田浩児さんに、「ボディーガード牙」出演のことで、見下された態度をとられ、あんな諍いにも近いような話し合いをしたばかりなのに、急転直下こんな展開になろうとは、まったく夢にも思っておりませんでした。人間の明日なんて分からないものです。いい意味でも悪い意味でも。
by masashi-ishibashi
| 2008-08-05 13:35
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