負けるわけにゃいきまっせんばい! 26
<さようなら劇団太陽座>
ここで一年ほど厄介になってる間に、北条秀司作「霧の音」(役名 正男)、三好十郎作「逃げる神様」(役名 男5)、菊田一夫作「花咲く港」(役名 横川彦八)、などの舞台に立たせてもらい、学生演劇とは違う、さまざまな生き方をしている一般のお客さんから、観劇料をいただいて観てもらう芝居創りの厳しさが、少しだけ分かったような気がしました。でも好きというだけで顔を突っ込んだ部分が大きくて、劇団という組織をどう理解できていたかは、かなり疑問があります。 相変わらず、皆さんちゃんとした会社員や、学校の先生、お医者さんなどの勤めを持ちながらやってる演劇活動でして、持ち出しこそあっても、たとえわずかでもそこから収入を得るということは出来ず、芝居そのものが生活になってるわけではありませんでしから。もちろん、皆さんの中には、たとえ貧乏をしてでも芝居だけで活きていけたらという、願望を持っていらした方もいたと思いますけど、どうしても芝居以外で十分な生活が出来る状態では、芝居以外には何もない、生きることそのものが芝居、芝居そのものが生きることでやってる人とは、意識するしなにかかわらず、必然的に、ものを考える姿勢が変わってくるのは当然のことです。 でもそれはそれでいいんだと思います。セミプロであってもいいんです。地域文化活動を持続していること自体、そうそう出来ることではない立派なことなんですから。だから皆家族的で、すごくいい人ばかりだったんです。 私はこの頃、レッスンや芝居の稽古の都合で、夜のアルバイトをやめ、日暮里から出ていた京成電鉄に乗り、京成関屋駅で降り、そこから程近い隅田川の川縁にあった岡田商事というところへ出かけ、朝八時から夕方の四時まで働き日給四百円、自分の都合のいいときだけ働けるという、溶鉱炉に入れるためにプレスして固めたくず鉄のブロックを、一日中舟や貨車に積み込む荷担ぎ労働や、一週間に二、三回は空手道場の師範代などをして糊口をつなぎながら、絶対に芝居だけで生きるんだなんて、初志貫徹だとか、初一念などと勝手なお題目を唱え、先も見えない夢を薮睨みしてしがみついていたんですから、面倒を見なければいけない独りぼっちの母親や、弟たちにも逆に迷惑をかける結果になってしまって。 自分の力で、反身になって踏ん張ってはみたものの、所詮は才能のない非力な人間です。このままではどっちつかずの半端者になってしまうと判断。太陽座を去ることにしたんです。
by masashi-ishibashi
| 2008-05-17 18:15
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