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石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 8

 でも、男の子って大体において魚とりや虫、それに動物が大好きじゃありませんか? 当時、動物好きの父が、猿を二匹、犬を二匹、それに兎、鶏、池には鯉や鮒、(昭和二十年(1945)太平洋戦争終戦の頃は馬まで二頭もいましたからね)などを飼っていまして、家に帰ってくればこれらの動物が格好の遊び仲間。キャンキャン、ギャアギャア、コケコッコウー。動物は可愛いものです。可愛さあまってからかったりいじめたり、最後は敵も怒って大喧嘩。猿なんか変に利口ですので、父が帰宅するとキャッキャキャッキャとご注進に及びますからね。おにぎりをもらい損なった悔しさに。生意気な。よくあるじゃありませんか、好きな女の子にちょっかいを出してわざとからかったりいじめたり。しまいにはとうとう泣かせてしまって。どうもこの頃から潜在的に素質があったようですなあ。
 しかし、そんな飼ってる動物が一匹でも死ぬというのは嫌なものですね。淋しいやら悲しいやら、なんとも可哀想でたまらないものです。もうこの世から消えてしまって存在しなくなってしまった身近なものの死という現象。あの切ない気持ちは例えようがありませんよね。今までのやんちゃはどこへやら。庭の片隅にお墓を作って花を挿し殊勝に涙ぐんだりして。
 女房に「あんたって本当に浪花節ね……」ってよく言われますが、どうもこの情に脆いんですなあ、映画やテレビ、舞台などを観ていても、なにかにお構いなくすぐに涙腺がゆるんじゃうんですから。
 例え動物であっても、身近なものの死というショッキングな現象に直面するということは、人間の持ついろんな情操を刺激して、それを強く揺さぶります。まして人の死は、いわんやなおさらのこと。しかしなんですね、昨今の世の中にはこのあらゆる情操(美的情操、知的情操、道徳的情操、宗教的情操など)をどこかに落っことしてきた御仁が随分いるようで、あまりにも信じられないような唖然とした事件が多すぎます。
 幼年期のお笑いの極め付きを父の日記に見ますと。私が五歳(この頃は数え年、つまり生まれた年も一歳に数えましたから、今で言う満四歳と何ヶ月)のとき。大日本帝国軍国主義が華やかだった時代で、昭和十二年(1937)七月七日に、盧溝橋事件を契機として日本と中国の間に起こった、日中戦争が勃発して間もない頃。当時、大ヒットしたにもかかわらず、「甘い歌い方が官能的」ということで、そのころの内務省(内務行政に関する最高中央の行政官署。昭和二十二年(1947)官僚勢力の中心として新憲法下に相応しくない理由で廃止)から発売禁止になっていた、渡辺はま子さん唄うところの「忘れちゃいやョ」という歌謡曲を、自宅近くの交番所(現在の交番、巡査派出所の旧称)でお巡りさん相手に、一曲得得として自慢(?)ののどをご披露に及んだというのですから。さあ慌てたのは父親です。職業軍人という立場もありますし、発売禁止処分になっているレコードを持っていたわけですから。父が慌てたり照れたりしていた様子が目に浮かぶような気がします。こっちはさっぱり意味も分からずに歌っているんですから、叱られてもまるで狐につままれたようなものです。知っちゃあいませんよ。
 ちなみにこの歌をご存じない方のため、ご参考までに歌詞の一部分を書いておきましょうか。


   月が鏡で  あったなら
   恋しあなたの  面影を
   夜毎うつして  見ようもの
   こんな気持ちで  いるわたし
   ねえ  忘れちゃいやよ  忘れないでね


 記憶がちょっとあやしいですが、こういった塩梅です。
by masashi-ishibashi | 2008-04-18 15:04
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記

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