負けるわけにゃいきまっせんばい! 4
それに忘れてならないのは、立ち回りはそれだけが単独に独立するものではなく、ドラマの延長線上にあるということです。そこに顔で斬って顔で斬られろといわれる所以があるのです。顔というのはその人の心理を表現している表情のことです。また本当に斬ったり斬られたりするのじゃないのですから、如何に、それらしく見せるかということが大切なことで、フィクションであるドラマの中の人物を創造することが仕事の、俳優でもない方に、いくら武術に秀でているからといっても、それを注文するほうが無理というものです。
<悪役の創造と具象化> さて、話はちょっとごちゃごちゃしましたが、悪役を演じるのに、本物の悪人を連れてきてもドラマの中で成立しないことは分かったわけですが、それじゃどう創ればいいのかということです。 それはその俳優が常日頃から、出来る限りデリカシーを持って生きるように心がけていることでしょうか。悪役も俳優が演じるのです。人間みんなそうでなければいけないと思いますが、俳優であるからには、人間としての心の豊かさを失ってはなりません。そしてポエジーを持つことでしょう。口で言うのは簡単なことですが、これが一番難しい。私などはまったく自慢できるような聖人君子ではないし、それこそどろどろした煩悩だらけの俗人ですから。 それはそれとして、相手の気持ちを細かく汲み取ってやれる繊細な心、こうしたらこの人は傷つくだろうとか、ああしたらあの人は悲しむだろう、痛いだろう、苦しむだろうと、普段は人の気持ちを思いやって決してやらないことを、逆に行為として相手役にぶっつけるのです。そうすれば、観ている人たちはその人物に対して、嫌なやつだなあ悪いやつだなあと思うでしょう。つまりひっくり返してみれば、俳優に優しさがなければ本当の悪役は演じられないということですかね。 ですから相手の気持ちを汲んであげられない、本当の悪人には悪役は演じられないということになります。肩を怒らせてみたり、唇を曲げてみたり、眉根に皺を寄せてみたりと、形だけでは本当の悪役は演じられません。要するに現実の中では本物の悪人にはかないませんが、フィクションの中ではそれとはまったく逆でして、普段の実生活で、あの人はいい人だねって言われるようでなければだめです。
by masashi-ishibashi
| 2008-04-13 18:33
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