石橋雅史の万歩計

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川鵜の日光浴

 何時ものウォーキングコース多摩川の土手を歩いていましたら、「えッ!」と目を瞠りました。川辺にもの凄い川鵜の大群、目算でざっと二百羽余り。もともとこの辺りはいろんな種類の水鳥が四季折々にやって来ます。ゆりかもめ、何種類かの鴨、かいつぶり、カワセミ、鷺類なども。誰もいじめたり、獲って食べようなんて人はいないのですから、彼、彼女たちにしてみれば我が世の楽園みたいなものです。それがまた人間どもの目を和ませてくれるのです。それにしても、私がここに住み着いて三十年になりますが、こんな光景ははじめて。距離にして約三十メートルもあろうかと思われる水際に、まるで空に浮かぶ奴凧のように、ずらりと羽をひろげて立っているんです。色目は少々薄汚いが壮観そのもの。バードウオッチングをしている人に聞きましたら、あれは虫干しをしているのではなく、川鵜という鳥は羽毛に脂質が少ないため、漁の後はしばらく日光浴をして羽を乾かすんだそうです。それにしてもですよ。あの川鵜が一斉に我を競って多摩川の魚を食べるんですから、一羽が一日に何匹食べるか知りませんが、食糧不足になりませんかね? 先日、新聞で読みましたが、川鵜の繁殖がもの凄いんだそうです。地球上の人間も、日本などは少子化問題でかまびすしいですが、それでも世界的には、鼠算式に増えて今や約六十六億人にも膨れ上がり、食糧危機も世界的。思いが重なる川鵜クンたちの日光浴でした。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-28 13:46

ベランダ菜園

 暇つぶしに野菜を育ててみようと思い立ちました。もっとも観葉植物はあるのですが、ちょっと実利的になんてせこいことを考えまして。
 さて、土地を借りての家庭菜園となりますと大げさな上、体力的にも、また知識不足と不慣れな為、現実味がないので、まずは、ベランダ菜園とでもいいますか、プランターと培養土を園芸店から買い込んできて、床を作り、パセリとみつばの種を、説明書を見ながら蒔いて、毎朝、如雨露で水遣り、しかしこれはなかなかの辛抱がいりますなあ、もう一週間にもなりますがまだ芽が出てきません。まずは忍耐。生命の誕生とはこんなもの。まるで小学生の夏休み宿題、観察日記。説明書によれば発芽までには二週間ほどかかるんだそうですが、それでも毎日水分を補充しては忍の一字。発芽してからがまた大変。間引きだの、除虫だの、肥料の補充だの一時も目が放せない。新しい生命を育むというのは、子育てと同じ。生育しても食べちゃうには忍びないね。観葉植物や花を愛でるようなものかな。今度はハーブの種でも蒔くか。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-24 14:08

負けるわけにゃいきまっせんばい! 終了

 2008年四月から書きはじめた〝負けるわけにゃいきまっせんばい!〟も、少しずつ114回にわたって書いているうちにいつの間にか約七ヶ月が経ってしまいました。一応これでおしまいにします。ちょっと疲れましたよ――。 面白かったかどうか、自分の価値基準でひとりよがりなお喋りをしてきましたが、少しでも興味を持って読んでくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとう。


 今日からまた、通常の雑文〝俳優石橋雅史ぶらぶら日記〟に戻り、折々の思いを綴っていこうかなと思います。


 <グリーンボランティア>

 今日はわりと乾燥した大変涼しい日でしたね。午後からは少し雲が出て曇り気味でしたけど。そんなことで午前中は、グリーンボランティアに参加しました。みどりは、自然の心の癒し。自然のクーラー。自然の空気清浄機。人と建造物と樹木の共生という、トータルなバランスを考えて、みどりの保護に努めようなんて、勝手なごたくをほざきながら。心身のリフレッシュだってんで格好つけてたんですが、白状すると本当のところはくたびれた。後家の頑張り、じゃない、年寄りの冷や水? ま、どんな表現をしても首を絞められそうだな。どうでもいいか――。 ともあれ心身の健康第一、お互いに頑張って生きてみましょうよ。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-12 16:17

負けるわけにゃいきまっせんばい! 114

 <ジェームス三木さんより>

 拝復。お便りを読んでいるうちに胸が熱くなり、また浮き浮きしてしまいました。昭和二十八年だったか九年だったか、あれは青春の挫折と苦悩に喘ぎながら、それでも一筋の光明を求めて、おたがいに焦っていた時代ですね。なつかしく思い出します。
 前から石橋雅史という俳優は気になっていたのですが、九割は間違いないと思いながら、あるいは別人かとも思い、声をかけることもなく過ぎていたわけです。浜口パーティーで話しかけてほんとによかったというのが実感です。ニュークリッパーがキーワードでした。貴兄の驚いた顔が印象的でした。
 私は二十八年四月に俳優座養成所に入り、才能のないことを思い知らされつつ、アルバイトに追われて欠席が多くなり、前途を悲観していました。いずれにしてもニュークリッパーで働いたのは夏でした。昭和三十年にはテイチクのコンクールに合格して歌手になったのですから、十八か十九才のときです。
 ニュークリッパーのボーイはみんなアルバイトで、長身でハンサムな貴兄は一段と目立っていました。もうひとり早稲田文学部の学生で最首というオッサンみたいな人がいて、これも空手をやっていたようです。また歌のうまいちょっと禿げかけた水時というアルバイトもいて、彼は後に作曲家になりました。水時富士夫という名前だったと思いますが、もう亡くなりました。
 貴兄についての断片的な記憶をたどりますと、私が間借りしていた戸塚の婦人科医院の二階に遊びに来て泊まったとき、相部屋の木浦佑三(後に日活の俳優)や、芸大浪人の村田(結局バンドマン)などと、一緒に飲んだこと。眠っている貴兄の顔を、家主のおかみさんがわざわざ見に来て、いい男だねえと溜め息を洩らしたこと、電車に乗っていると、まわりの女性たちがみんな、貴兄の美男子ぶりを盗み見てうっとりしていたこと。白ワイシャツに黒ズボンで、ハンチングベレーをいつも恰好よくかぶっていたこと。貴兄が映画に出演したというので見に行ったら、楽団の一員でサキソホンを吹き、セリフも何もないエキストラだったこと。詳しくは覚えていませんが、女に騙されたのでオトシマエに二万円取るんだといきまいて、書類を作っていたことなどです。
 私は現在七十五キロありますが、当時は痩せこけていて、五十八キロぐらいだったと思います。顔は全く変わったでしょう。水時氏に教わって、ときどき歌をうたっていたかも知れません。貴兄は女にもてまくっていたし、友人も多かったから、私のことは覚えていなくても不思議はありません。
 とにかく俳優として名を成されて、御同慶のいたりです。空手ものから欽ちゃんの何やらまで広い芸域ですから、もう一生食えるでしょう。私は来年の大河ドラマ〔独眼竜政宗〕に取り組んでいます。きっと貴兄にも出番があると思います。推薦しますので是非出て下さい。三十三年ぶりの再会が、仕事で結実するのも粋なものではありませんか。
 心から御健闘をお祈りします。起きている間は殆ど脚本を書いている状態なので、なかなか飲む機会がないのですが、いずれは一杯やれる日を楽しみにしています、   敬白。

昭和六十一年九月二十一日
                                         ジェームス 三木


石橋 雅史 様


 <終わりに>


〝袖ふれ合うも他生の縁〟
 冒頭に申し上げましたように、人間の一生のうちで巡り会える人といったら、ほんとうにわずかなものです。
 そのわずかな限られた人とのコミュニケーションの中に、無限の可能性を発掘することができるわけです。
〝偶然に知り合うのもその人の運命の一部である〟とも言いますが、善き人に巡り会うのも、悪しき人に巡り会うのも運命の一部であるとすれば、善き人と出会えて、今ここに自分があることを素直に感謝します。

    木枯らしに枯れ葉一枚しがみつき
                          雅史
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by masashi-ishibashi | 2008-10-11 18:20

負けるわけにゃいきまっせんばい! 113

 <ジェームス三木さんへ>

 拝啓。先日はお疲れ様でした。大変盛り上がった素敵なパーティーでしたね。
 浜口さんを囲む会ではありましたが、ただのお疲れパーティーではなく、ひとつが終わり、そして、そのポリシーを確認しあい、また新しい一歩を踏み出すのだという雰囲気の、人間が生きて行く道程の、ひとつの節目というか――。
 そして何よりも嬉しくて、夜も眠れないくらい僕を興奮させたのは、三十三年ぶりの思いがけない貴兄との再会です。しかもあの場で――。いつになく久し振りに心が騒ぎました。本当に懐かしかった。
 家族対抗歌合戦には、僕も3回ぐらい出演しており、貴兄が出演した際も観ています。その後貴兄が審査員になってからは、先日収録した最後の特番が久し振りの出演だったわけです。
 あの夜はまっすぐに帰りましたか? 本当はお開きの後、どこかの飲み屋で、夢と希望をふくらませてそれを支えに生きていた、お互いに十八才か十九才そこそこだった、ひとつの青春時代の想い出を肴に、一杯やりたいと思っていたのだけど、こういう会の後だから、きっとあとの付き合いがあるのではないかと考えて、それを言い出すのをやめました。これからは時間の都合が合えば、いつでも飲めるからと思い、まっすぐ家に帰り、女房相手に貴兄との奇縁を語りながら飲み直しました。すっかり色あせていた当時の記憶が走馬灯のように、頭の中を駆け回り始めて――。
 いろんな仲間との出会い、戦後七、八年しか経っていない、雑然とした新橋烏森界隈、東京あちこちの盛り場の情景、あの頃のニュークリッパーのアルバイト仲間、ホステス、お客、人間群像と言うか、人間模様と言うか、だんだん鮮明な部分が脳裡に浮かび上がってきます。
 出会いがあって、別れがあって、そして再会。色々なところをくぐり抜けて来ての、こんな形での巡り会いだっただけに、まるでドラマみたいな気がして、興奮を抑えることが出来ません。
 ここまで来るのに何度も挫折しかけたことがありますが、初一念を貫いていて本当によかったと思います。でなければ、こんな巡り会いは終生なかったかも知れない。三十三年経った今、その空白を越えて、戸塚町の貴兄の部屋の記憶を辿っています。確かに泊まりに行きました。あの頃どんな話をしていたのかなあ――。
 二人とも演劇を志していたのだから、芝居の話とか雑談にふけっていたのだろうけど、不思議と鮮明に浮かんでくるのが、もりそばと、十円玉が二、三個なんだよね、なんでだろう? 夏で腹がへって、電車賃もないときだったのかなあ?
 あの部屋には貴兄と一緒に誰か住んでいなかったっけ?
 とにかく、貴兄が僕と寝起きしたこと、石橋雅美という本名から、ベレーハンチングに黒のズボンという、当時のコスチュームまではっきり憶えていたのに、僕の方がおぼろげだった失礼は勿論のこと、記憶喪失の男がその時間をまさぐっている様な、自分に対するいらだたしさがありました。
 家に帰ってすぐに当時の写真を引っ張り出してみましたが、貴兄の記憶は確かでした。貴兄の若いときの写真を是非見せて下さい。ずい分ふとったのじゃないかな?
 俳優から歌手、そして作家で大成した貴兄の経緯と存在は、興味を持っていた作家の一人ですから、以前から知っていましたが、若いとき一緒にアルバイトしながら頑張っていた友人だったとは、全く気がつかずに何年も過ごしていたわけです。人生の綾って面白いですね。
 しかし友人が大きくなると言うのは嬉しいことです。
 僕はあれから荷かつぎをやったり、空手の師範代理をしながら生活費をはじき出し、昭和三十二年に文化座に入り、昭和三十九年に退団、昭和四十年に文学座の戌井市郎さんにお願いして、一年間文学座に居候、その後、石橋雅史と名前を改めて、テレビ、商業演劇などに出演していましたが、昭和四十八年の後半、東映に引っ張られて、映画を二十本ばかり、その後またテレビに、最近はまた舞台も始めました。十一月は一ヶ月ばかり、香港映画の撮影に行くことになりそうです。帰ってきて六十二年の一月は北海道札幌のニュー本多劇場、二月一杯北海道の舞台で三月一日に帰ってきます。演劇学科の同級生からは、宍戸錠、ケーシー高峰、嵐徳三郎、砂塚秀夫などが残りましたが、一緒に働きながら同じ道を歩いてきた友人というのは、ひとしお感慨深いものがあります。
 貴兄のほうが、今やずっと大きくなって上を歩いているけど、同じく初志を貫き、プロの道を歩ける身になり、五十路を過ぎてひょんなことから、ひょんな縁でまた巡り会えたのですから、あと何年生きるか、今までの空白期間より少ないかも知れないけど、これから先、公私ともども、お互いが疲れない程度に、ずっと付き合って行きませんか。
 あの烏森の辺りも昔の面影は全くありませんが、あの辺りの小さな飲み屋で、ちょっと一杯やってみたい様な気もします。
 すごく懐かしくって、すぐにペンを取ろうと思っていたのですけど、あのあくる日から、土曜ワイド劇場の撮影に入ってしまって――。今日は撮影がありませんので、今、書いているところです。あと都内ロケがちょっとあって、二十二日あたりから少しばかり、奥秩父の山の中へロケに行ってきます。
 気が向いたらたまには連絡下さい。体に気をつけて益々の活躍を祈っています。 敬具。

昭和六十一年九月
                                          石橋 雅史(雅美)


山下 清泉 様(ジェームス三木さん)
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by masashi-ishibashi | 2008-10-10 14:33

負けるわけにゃいきまっせんばい! 112

   ジェームス三木さんとの再会


 いきなり三木さんの書簡を勝手に拝借することにしましたが、後年になってから仕事などで出会った人と違い、ひとつの志を目指し、しかも、お互いに食うや食わずで苦学をしながら、夢と挫折を繰り返していた多感な十代の出会いには特別の思いがあって、何か改めて書くよりも、この往復書簡は私にとって、三木さんとの出会いから、別れ、再会までの、三十数年という時の流れを越えて、今や何を書き加える必要もなく、その行間にとめどもなく思いを馳せて、若かった日の追憶が大きく膨らんで蘇ってきます。そして今、再会からまた二十二年余りの歳月が流れ、いろいろと世話になって助けてもらってばかり。行き詰ったと言っちゃ、無駄話をしに押しかけて酒を喰らい。彼がドラマを書くといえば、毎回のように舞台にテレビにと推薦してもらい。多忙な人だと知りながら、公私ともどもお互いが疲れないように、残り少ない人生を、ずっと付き合っていこうよと言った当人が、なんだか彼に負担をかけ、疲れさせているんじゃないかなあと、近頃、少しばかり反省しているところです。しかし、友が書いたドラマの人物を、そのまた友が演じる(私では力量不足かもしれませんけど)など、この世界にそう何組もいるものじゃありません。よき友に恵まれるということは、本当に幸せなことです。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-09 13:10

負けるわけにゃいきまっせんばい! 111

 <鈍な話>

 賢い話をしましたから、ここで要領の悪い鈍な話もひとつしましょう。この男、名前は言いませんが個人的には大変好きなんです。しかし真面目なだけが取り柄でどうにも融通が利かないんですね。
 ある芝居で「殿のお成りにござります」と言う彼のセリフがありまして、それと同時に、揚幕(花道の出入りの時に、開け閉めする幕)がシャンと開いて、主役が登場することになっていたのですが。彼はいつも楽屋入りすると、すぐにメーキャップを済ませ衣裳を着けて、毎日、奈落の隅でそのセリフの稽古を何度も何度も繰り返しているんです。演出家のダメだしを忠実に守るために。そして本番が終わると必ず「どうでした?」って聞きにくるんです。
 ある日、私がその俳優に「そんなに同じところばかり繰り返していたら、テープレコーダーの声を再生しているみたいで、人間の生きた声じゃなくなっちゃうぞ。芝居は全体の大きな流れの中で掴むものだよ」って言いましたら、素直な彼のことですから、その日はちょっとだけ頭の中でおさらいをして、揚幕のところに行き挑戦してみたんです。そしたら自信がないものですから、あまりの緊張に平常心でいられなくなったんですね。顔は引きつってくるし身体は落ち着かなくなるしで、これはまずいなと思っている間もあらばこそ、キッカケがきたとたん、緊張はその極みに達して「トノロロロ」って舌が回らなくてロレっちゃった。トロロ芋じゃないって。まだ幕の内側にいて声だけなのにです―― もう。「しっかりしろよッ!」って小声で励ましたら、精神状態がすっかり動転しているものですから、今度は「済みませんッ」って答えちゃったんです。その方がセリフよりずっとはっきりして確かでしたよ。そりゃそうです、反射的にまた自然に、自分の中から出てきたわけですから。そのまま芝居を続ければいいのにと思い「バカッ」って言ったら、「殿のお成りにございます」をはじめッからやり直しちゃった。稽古場じゃないんですからお願いしますよ――。大物になるには何かもうちょっとですね――。揚幕の近くにいたお客さんは、喜んでいたと言うか笑っていましたけど。いやあ、これは私の責任でしてこたえました。
 もっとも、テレビがまだ全部生放送だった時代(昭和三十年代の初期ー1955)に、本番中にトチリ(失敗すること)、思わずカメラに向かって「ゴメンナサイ」って言ってしまった俳優がいましたけど。生放送の場合、本番中にスタジオでカメラに映ったものはもう編集不可能。リアルタイムでそのまま全て家庭のブラウン管に流れるんですから。最近のバラエティー番組ならともかくドラマはご愛嬌じゃ済まされません。人がいいって言えば人がいいんですかね――。
 自信がついてくれば平常心でいられますから、俳優ものびのびと大きく見えて、その人が本来持っている味も出てこようというものです。
 これは俳優に限らず、何の世界でも同じですよね。そこまで来るにはそりゃあ苦しみと試練の連続です。このとき苦しさに耐え切れず、低きに流れて易きにつくか、じっと我慢に我慢を重ねて辛抱し、でっかい花火をぶち上げるかでしょう。当たり前なことではありますがこれがまた一番大変――。人間、じっと辛抱してそれを乗り切った時に何かが生まれる。つまりその人にしかない人間としてのいろいろな膨らみというか味ですね。
 人間の情感というものは、一プラス一必ずしも二になるとは限りません。三にでも四にでも五にでもなります。料理番組で便宜上作ってある、サラダ油大さじ一杯、酒小さじ二杯、醤油大さじ三杯、酢、砂糖少々などという、マニュアルと言うかレシピで出来るものじゃないんです。あれじゃ誰が作ってもみんな同じ味になっちゃうじゃありませんか。料理人の腕の見せ所はありませんよね。人間は、その、計算では割り切れないところに、その人の味わい、いわゆる魅力が出てくるということです。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-08 13:37

負けるわけにゃいきまっせんばい! 110

 <平常心>

 しかし、これも平常心がなければ、なかなか出来ることじゃありませんよね。ではその平常心は何処から生まれるのかと言えば、それはやっぱりその人の自信でしょう。自信は何処からと言えば、人生の中でいろんな事に触れてよく知ること。知ってしまえば人間なんていうのはみんな五十歩百歩ですよ。つまり少しの違いはあっても、根本的には大差はないということです。ま、その中で、何かひとつでいいから、これだけは絶対人に負けないぞ、なんていうものを持っていたら、これは凄いじゃありませんか。
 私、学生時代、それに俳優の傍ら、空手という武道を大分永くやっていまして、時々、昇段審査会に審査員としてお付き合いすることがあるのですが、その時、受審者の皆さんにいつも言うんです。平常心を持てることも実力のうちだよって。
 よく若い人が言います。「いやあ、あがってしまって、全然実力が出せなかった」って。引率して来た道場の責任者の方たちも言います。「うちの道場でやってる時はいいんですけど」って。しかし肝心な時に、ちゃんと表現できなかったら、何も持っていないのと同じですものね。そんなものは誰も認めないし、世の中では通用しません。芝居の世界でも、楽屋では人一倍面白いけど、舞台でお客さんの前に立ったら全然駄目なんだよねって言われる人がいます。
 審査の少し前だけ、一所懸命に練習してくる人がほとんどですが、すぐにボロが出ます。全体の流れがばらばら(自信がないから、平常心が保てない)。ケレンばかりが多い(何とかごまかして、よく見せようとするばかりで実がない)。
 例えば、私たちが食事をするのに、子供のときから何十年も、毎日、毎日、三度、三度箸を使っていたら、それこそ目を瞑っていても、箸で食べ物を口に持っていけるようになりますよね――、 修練とは、それによく似ているわけでして、積み重ねですから。失敗してはやり直し、また失敗してはやり直す。この努力が実を結ぶのであって、習うよりは慣れろですよ。頭だけじゃなくて、身体で覚えることです。それと今まで自分で気がつかなかったいいものを見つけたら積極的に真似してみることです。模倣は創造の始まりって言うじゃありませんか。そういう努力を重ねることによって、最終的には、誰にもない、その人にしかない個性も生まれてくるというもので、それは自信となり、平常心に繋がっていくのです。何事も努力。天才も九分の努力って言いますよね。
 昨今では、スプーンやフォークをよく使いますから、箸の持ち方、使い方を苦手とする方もいらっしゃるようですけど、ま、箸はたとえ話ですから、あまり気になさらないように。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-07 12:57

負けるわけにゃいきまっせんばい! 109

   賢い話と鈍な話


 <賢い話>

 人間、いろんな逆境を潜り抜けてくると、結構強くもなるし賢くもなります。
 ある俳優が、花道を走って本舞台に行き「申し上げます」というのをやったんです。これは相手役に報告する役です。「申し上げます。何処そこの某と、なんとかの太郎兵ヱ衛、今宵子の刻、何処そこより手勢の兵馬何騎を連れて、何処そこに到着、夜中ながら火急の件につき、お目通り願いたいとのことに御座ります!」とこんな具合に。私も若いときにやらされたことがありますが、これは難しいんです。まず急いで一気に、正確に言わなければならないのですから。それなのに、いろんな人の名前とか、場所、時刻、数などが沢山出てきます。また時代劇の武将には、難しい名前の人が多いんです。
 それがある日、「申し上げます」と言ったきり、頭の中が真っ白になってしまって、後のセリフが出てこなくなった。何としてもこのセリフを言わないと芝居が先に進まないんです。しかしこういう時は焦れば焦るほど、思考が混乱して言葉が出てこないものです。
 この俳優どうしたと思います? 何事もない素振りで相手役の傍にツツッ駆け寄り、ボソボソッと早口で何事か耳打ちしたんです。そしたら相手も大したものです。「うむっ」と受けて、報告役のセリフ(つまり、用件)をほぼ間違いなくしゃべり、「火急の件につき目通り願いたいとな?」と結んだのです。
 俳優というのは、何時もそのシチュエーション全体の流れを掴んで、相手のセリフをよく聞いています。だから臨機応変に対応が出来たんでしょう。人間そういう意味では本当に賢く出来ています。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-05 12:25

負けるわけにゃいきまっせんばい! 108

シルクハットを脱いで帽子掛けに掛けようとしましたら、壁に取り付けてある帽子掛けが、その日に限って少し下を向いているじゃありませんか、まずいなあと思いながらも、そーっと掛けてみたのですが、案の定、手を離したとたんにポトンと落っこちて、コロコロッと転がっちゃったんです。何度やっても、ポットンコロコロ、ポットンコロコロですよ。いやあ参りました。考えてみれば、帽子掛けにこだわることなんか何もないんです。何かそこいらにある、台かテーブルの上にでも置けばよかったんです。何しろ最初の失敗で、すっかりのぼせ上がっちゃってるものですから。見るに見かねた、森幹太さん演ずるところのゴッホが、助っ人に来てくれたのですが、バトンタッチされた森さんも、ポットンコロコロで悪戦苦闘の末、結局はテーブルの隅に置いて一件落着。最初からそうすればよかったのです。
 さて、そこで悠然とマントを脱いで――? いや、半分脱ぎかけたら、どうも変なのです。白いシャツにサスペンダーが見えてきちゃった。
 よく考えてみたら、そこで脱がなきゃならないマントを、あまりにも早くから出の準備をして、舞台のことばかり考えていたものですから、すっかり楽屋に忘れてきて、いきなりフロックコートを半分脱いじゃったんです。もう初っ端からの失敗で、後の芝居はしっちゃかめっちゃか。今になればまったくの笑い話ですが、その時は穴があったら入りたいと言いますか、首でも縊りたくなりますよ。
 本当に、これに類した裏話は山ほどあるんです。眉毛は真っ白、顔は皺だらけの老人のメーキャップをしているのに、頭の髪の毛だけは真っ黒ふさふさで出て行ったとかですね。いや、舞台に出て行ったら、相手役がクッククックと、涙をこらえ、笑いを押し殺して苦しんでいるし、それにどうも頭がすうすうするなと思ったんです。何のことはない、楽屋であんまり暑いものですから、ひょいとかつらを脱いで、出番を待っているうちに、かつらのことをすっかり忘れて舞台に出て行ったんです。舞台は暑いですから。
 ちなみに私の血液型はB型ですけど、B型というのはそういう傾向があるんですかね? ま、人間っぽくっていいじゃないですか。ほころびていたり、繕ったり、真っ直ぐな線があったり、曲がりくねっていたり、。定規とコンパスで描いたみたいに何もかも出来すぎて、破綻が無いと言うのも、味気ないというのか、面白みがないじゃないですか。男性もこう―― ちょっと不良っぽかったり、女性もこの―― ちょっと小悪魔的な人っていうのは、何となく惹かれるんじゃありませんか? 負け惜しみですかね。
 ご参考までに忠告申し上げておきますけど、私のようなB型は駄目ですよ。わがままで、ゴーイングマイウエイ、自分勝手、強情、おっちょこちょい。これで散々うちの奥方に苦労をかけ、泣かせて、これまでの永い歳月役者を続けてきたのですから。
 私が老いさらばえて、自分で自分の自由が利かなくなった時に、どさっと仕返しをされるんじゃないでしょうかね。いやあ、不安ですね。女性の怨念は怖いですから。
 モリエールの芝居に「粗忽者」またの名〝へまのしつづけ〟というのがありますが、本当に人間はいつも不完全なものです。
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by masashi-ishibashi | 2008-10-04 11:53



俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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