石橋雅史の万歩計

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負けるわけにゃいきまっせんばい! 87

 <日芸の空手道部>

 さて、高校を卒業いたしまして、なぜか私ごときが、日本大学芸術学部演劇学科に進学ということになるのでありますが。学業の傍ら、高校時代にやっていた柔道を続けたくて、校友会をたずねましたところ、この学部には柔道部がなく、その代わりと言っちゃ変ですが、空手部があったんです。どうしても柔道がやりたいというのであれば、神田三崎町の日大本部まで通わなきゃならないわけで、この時間もお金も無いのにトンデモハップン。そこへ名古屋から出てきた同級生で、やはり高校時代に柔道をやっていたのがおりまして、その男に「おい、石橋、空手をやってみるのも面白いかも知れないぞ」と誘われたのと、高校時代に柔道部の道場で見た、空手演武の一場面が脳裡に浮かんだのとで、「それもそうだなあ、やってみるか」で決まっちゃった。
 空手を始めた動機なんて単純なことでして、要するに男性的な強さ、強さと言ってもただ闘争的な強さ、そんな格好よさですね。これに憧れていただけですから薄っぺらなものです。それに稽古着は空手着でなくても、柔道着でも剣道着でも何でもいいと言うんですから、これはもうこっちにとってはお誂え向きという奴で、それと流派も剛柔流、(この頃は空手の流派についてなど、何も知らなかったのですが)、〈剛よく柔を制し、柔よく剛を制する〉ってところがいいやってんで、早速入部しちゃったんです。動機はとlもあれ、この空手が私の生涯に、これほど深い関わりを持つ事になるなど、この時は思ってもみないことでした。
 だけどこの頃の空手は、まだまだあまり印象がよくありませんでしたよ。今でこそ世界大会があったり、国内外で社会的にも認知されて、オリンピックにも、正式競技として認めたらどうかと言う話もありますが。映画などに出てきても、空手家はまずほとんどと言ってもいいくらい、悪役ばかりでしたからね。「姿三四郎」の中に出てくる比嘉城三兄弟。でもこの映画で故月形竜之介さんが演じた、比嘉城源之介はすごく魅力的でした。あの映画は確か、黒澤明監督の第一回作品で、昭和十八年に作られ、主役の〈姿三四郎〉は藤田進さんでしたよね。ちょっと世代が古すぎますか。もっとも私はずっと後年になって、戦後に観たんですがね。
 それにしても、何度も繰り返すようですが、高校時代の柔道場での、追憶の断片としてしかなかった空手が、俳優としての私と繋がりを持つことになるとは、本当に、夢にも思いませんでしたが、人の行く末と言いますか、運命なんて分からないものです。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-31 14:36

負けるわけにゃいきまっせんばい! 86

   空手と私


 〈一芸は身を助ける〉。若いとき、ある時期に、たまたま何かにのめり込み熱中して、誰にでもはあまり真似の出来ないこと、人並み以上のものを身につけたことが、ある時、思いもかけず、己の生き方を助けてくれることがあるものだと、これほど実感したことはありません。


 <中学、高校時代は柔道少年>

 中学、高校と柔道部にいたことは、前の方の項でも書きましたが、私の少年期、昭和二十年(1945)八月十五日に太平洋戦争が終結して、日本が敗戦を迎えるまで、学校では柔道、剣道が正課のようになっているところもあり、また父親が職業軍人だったこともあってか、武術と言うものに少なからず関心を持っていました。
 戦後。戦時中には敵性スポーツだと言うことで、片隅に押しやられていた野球部などが復活して、大変人気があり、柔道部なんて言おうものならとんでもない。なんせGHQ(連合国の総司令部)の命令で、1945(昭和20年)十一月には文部省を通じて、兵隊ごっこや柔剣道は廃止されていたのですから。それでも好きな連中が結構おりまして、同好会のような形で活動していたんです。GHQから「学校柔道復活について」という覚書が手交されたのが1950(昭和二十五年)九月、そして十月に学校体育教材として柔道が認められたのです。それまでただただ仲間が集まり、組んずほぐれつ汗を流し合って、技を磨き自己満足していたんですよ。
 本当は野球やテニスなどにも興味があったのですが、柔道部を選んだのには、実に簡単明瞭かつ決定的な理由がありましてね。それは、裸一貫で外地から引き揚げて来て、ただお金が無かったというだけのことなんです。前にも言いましたように、この頃、大抵の家庭には柔道着の一着ぐらいはありましたから、その何処かの片隅に、埃をかぶってほったらかしてあるやつを貰い受けてくれば、一銭もかからないし、柔道着も日の目を見て喜ぼうと言うものですよ。
 柔道で強くなり、こんな不条理な世間を投げ飛ばしてしまえ! 過去の良き時代の夢も、現在の貧苦の境遇も、この汗と共に投げ飛ばして強く生きるんだ! なあんて言えば格好いいですけど、本当のことをぶちまければ、ただ単に、これが一番お金がかからずに出来たというだけのこと。例えば野球でもやるとすれば、やれユニホームだ、帽子だ、グローブだ、スパイクシューズにバットにボールだと、大変なお金がかかるわけで、この頃の私の境遇では、逆立ちしたって鼻血もでないって時ですからね。
 それはそれとして、この汗にまみれて、若いエネルギーを発散している我らが道場に、ひょっこりと、拓殖大学で空手をやっていると言う先輩が顔を出し、空手の型なるものを見せてくれたことがあります。その人の名前はちょっと忘れてしまいましたが、とにかく、突き、打ち、蹴り、受け、転身、と仮想敵を想定して組み立てられた、空手の動きを演武するわけです。今にして思えば、その先輩も空手を始めてまだ間もない時だったらしく、いかにもお粗末なものではありましたが、その時は初めて見る空手の型演武に「へえッ、これはなかなか……」と驚嘆したものです。沖縄を発祥地とする、空手という武術があることは知っていましたが、見るのは初めてだし根が単純ですから。もっともそのあと、柔道のお相手をして背負い投げを掛けたら、簡単に飛んでいってしまったので、ちょっとがっかりしましたけど。
 しかし、ほんのちょっと一度だけ見せてもらったことですから、その後すっかり失念していたのであります。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-30 16:26

負けるわけにゃいきまっせんばい! 85

 思いもかけないことで、萬屋錦之介さんの復帰第一作は、私にとっても、とんでもない復帰第一作になってしまいましたが、医者が言った通り、この後、身体が本調子に戻ったのは、やはり一年半も経過してからのことだったでしょうか。それでも俳優という人間機関車は、休むことを許されないのです。仕事が無ければ精神状態が休まらず、無理を押して仕事を重ねれば肉体が休まらずではありますが、自分が選んだ道に、生活をかけリハビリを兼ねて、そうです、とにもかくにも仕事があるということは、ファンの皆様の支えのお陰でもあり本当にありがたいと思わなくてはならないのであります。やはり「負けてたまるか! 人生今日もいのちがけ」ってやつですよ。
 こんなこともあって舞台に戻ってきました。おかげ様でこの後、舞台の仕事も増えました。お芝居の原点はやはり舞台です。私は観客の皆さんと、生で交流できる舞台が大好きです。ですから俳優最後の残り時間を、東京の新橋演舞場、明治座、三越劇場、新宿コマ劇場。大阪の新歌舞伎座、梅田コマ劇場、松竹座。京都の南座、等々、東西の劇場に、機会があれば出演させてもらってきたのです。そして、全国のみなさんにも忘れられないように、時々はテレビに。出来ればまた映画にも。そんなローテーションを組んできました、何時まで私が元気でいられるか分かりませんが、またそんな機会もあるでしょう。その時ご縁があったら是非観てください。
 残り火を火吹き竹で燃え盛らせ、死ぬ間際まで舞台を務めることが出来れば、俳優としては本望ですが、はた迷惑でしょうし、そううまくはいかないでしょうね――。誰もが考えるように「生涯現役」でありたいものです。
 そう言えば、百歳になられるある禅僧の言葉に「生涯現役 臨終定年」というのがありましたね。感服の至り。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-29 14:22

負けるわけにゃいきまっせんばい! 84

 <舞台復帰第一作へのトライ>

 しかし、人間の意志といいますか、執念と言ったらいいのか、その一念は凄いですね。「病は気から」の喩えじゃありませんが、二週間目には、まだ眩暈が残っていて、身体は宇宙遊泳をしているような状態なのに、辛気臭い病院をおさらばして、自宅の途中まで歩いたのですから。後は座り込んでしまい、どうにもならなくなってタクシーの厄介になりましたけど。
 これを遡ること二十一年ほど前、出演中のテレビ映画で、ラストシーンの撮影が明日で終わると言う時に、盲腸炎を患い病院に投げ込まれ、手術後一週間も経たない、まだ抜糸もしていないのに、屋上でリハビリを兼ねて、トレーニングを始めたことを思い出しましたよ。あれは退院後三日目、手術から十日目に、ラストの大立ち回りをやってクランクアップしました。それから二年ぐらい術後の調子が悪かった。今度は風邪のウイルスに、前庭神経をやられた神経障害。でも二ヵ月後の七月には舞台の稽古が始まるのです。
 働けない為に収入のめどはまったく立たなくなり、出費だけが嵩んでいく、当然、生活は逼迫するばかり。中学三年生になったばかりの息子などは、このままお父さんが倒れたら、僕、高校に行けなくなるのかなあと、女房に漏らしていたようです。舞台復帰も念願でしたが、今は、あの八月の舞台を何としてもやらなければ、家族みんなが生きていけなくなる。この切羽詰った思いが五体を突き動かし、家の中の壁を伝って、遮二無二、平衡感覚を刺激するように身体を動かしてみる。眩暈が襲い座り込む。脂汗を流しながら再度挑戦する、また座り込む。近くに流れる多摩川の土手を歩いてみる。発作の不安と戦いながらただただ歩く、スポンジの上を歩くような感触を足の裏に踏みしめ、よろめきながら。医者からみれば可愛げのない患者です。医者は安静にしていなさいって言ったんですから。
 しかし、こんな逆療法に効果があったのかどうかは別として、医者も驚くほどの回復ぶり。「俳優さんは頑丈にできているんですねぇ」なんて、妙な持ち上げ方をされながら、ともかく、まだ急に振り向いたりすると目が回ったり、足元もふわふわして、雲の上を歩いているような状態でしたが、仕事こそ最上のリハビリだと、わが身を叱咤して、やっと七月の稽古に持ち込んだのであります。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-28 14:17

負けるわけにゃいきまっせんばい! 83

 真っ暗な、光も無い、音も無い、何も外的刺激の無い空間に入れられたら、人間だんだん平衡感覚がおかしくなって、ふらついてくるでしょう。皆さんこれに近い経験をされたことはありませんか? 人間は外部から入ってくるいろんな刺激をキャッチして、バランスを保っているんだそうです。光、音、弱電、等。ですからこれを診断する検査も、同じ事をやります。暗い部屋のベッドに寝かされ、手首などに電極をつけられて、耳にはヘッドホーン、そして光を点滅させたり、いろんな音色を聞かせたり、弱電を通電したりと。するとその刺激による神経の反応が、ちょうど心電図と似たような、グラフになって出てきます。
 まさに元凶はここだったんです。そうです、犯人は風邪のウイルスでした。検査結果のグラフを見せられ、説明を聞いて、私もへぇッと変に納得しましたよ。右側の波形が正常に反応しているのに対して、左側の方ときたらまったく反応が無く、びろびろっとへたり込んで、一本の線のようになって流れているんですから。これじゃ立っていられないのも道理です。悔しいじゃありませんか。本当にこん畜生!ってやつです。風邪を押しての二作品ダブリ仕事というのが、ちょっときつかったんですね。身体は正直なものです。若いときは風邪ぐらいなんだと、熱があろうが、疲れていようが、徹夜続きで仕事をしようが、屁でもなかったものが、五十二歳にもなると情けないですねぇ。抵抗力が少し衰えたとなると、あのろくでなしのウイルス奴、とんでもない頭の中の、想像もしていなかった、肝心な神経なんかに喰らいつくんですから。彼奴は相場として、鼻の奥とか喉あたりに、遠慮してしがみついてりゃいいんですよ。ま、ここで腹を立てても仕方がありませんけど。
 医者いわく、「これは長くかかりますよ、一度やられた神経は、なかなか元に戻らないんです。それにこの類の症状には、治療薬がないので自然治癒を待つしかありません。これはプロバビリティーの問題ですから」何をご大層に小難しい言葉を使っているんだか。つまり<プロバビリティー>と言うのは、ようするに本当とは断言し得ないが、本当と看做すべき根拠が有力である。と言うことなのです。
 と言ったわけで、「目まい止めの薬を差し上げますから、どうぞご自宅で安静にして寝ていてください」これですからね。ひとの弱いところをぐさりぐさりと。少しは遠慮してものを言えってんだ。ちょっとぐらい希望が持てるようなことを言うとか。このとんちき野郎!先が分からないなんて言われて、安静にしていられるわけが無いじゃありませんか。不安と焦りが抱き合って転げ回っていますよ。こっちは一日一日に生活がかかっていて、そんな悠長なことをしていられるような、身分じゃないんですから。何時だって漕ぎ止めたらばったんこんの、自転車操業なのであります。
 しかしこの状態では、今すぐ退院と言うわけにもいかず、ICU(集中強化治療室)をさっさと追い出されて、八人部屋の一般病室へ、いやいや儲けにならない病人は何時も隅っこの方です。
 京都は京都で、撮影の途中、石橋が倒れた、脳出血でもう駄目らしい。針の先は棒になり枝葉がついて大騒ぎ。ちょっと顔を見せないと、すぐに噂で人を殺しちゃうんですから、この業界は。大騒ぎと言ったって、私のことを心配しての騒ぎじゃありませんよ。代役探しや時間と制作費の問題なんです。私で撮影した部分を全部撮りなおしたら、莫大なお金と時間がかかりますからね。いかに代役で最大限ごまかすかです。それにもうひとつ大変なのは、各俳優、スタッフのスケジュール再調整。あの馬鹿野郎! 間抜け奴! もう二度と使わねぇッ。せいぜいこんなところですよ、私に対する思いなんて。冷たいところですから。儲かったのは代役をつとめた某俳優だけ。その割には、その後ずいぶん沢山の仕事をしていますけどね。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-27 14:32

負けるわけにゃいきまっせんばい! 82

 近所の医者などは電話で往診を頼んでも、今はどうしても手が外せないから、よんどころなければ、救急車を呼んでくれと言った次第。そりゃそうだろう無理からぬ話。それでも冷たいじゃないのこの危急存亡? いやいや存亡はいらないな。こんな時に何を悠長なことを言ってるんだ。このとんちき藪医者め。救急車なんかみっともなくて呼べるか! なんて虚勢を張ってはみたものの、何ともかとも耐え難く、虚勢などは脆くも崩れて、助けてください神様仏様。普段は無神論者みたいなことを言っているくせに、このときばかりは格別と、見栄も外聞もあらばこそ、救急車のご厄介になり、パジャマ姿をタオルケットに包まれて、哀れな格好で救急病院に送り込まれると言う顛末。
 そこで映画の撮影ならぬ、CTスキャン撮影だ何だかだと、検査漬けにされましたが、何も原因が掴めないのであります。しかし、医者はいろんなことをカルテに書くものですね。
「病名、椎骨脳底動脈循環不全。所見、突然のめまい、悪心、嘔吐あり、症状強く持続性の為入院となる。入院時、回転性眩暈、方向注視性眼拒、平衡障害等の神経症状あり」等。これを見ただけで不安神経症になっちゃいますよ。
 ともあれ、それはそれは想像をを絶する物凄い眼眩みと嘔吐が、途切れも無く一日中続くわけですから、そのままでは本当に気が狂ってしまいます。そこで点滴を繋がれたまま、二日ほど薬で眠らされていたんですかね。わずかに症状は治まってきたものの、まだちょっと頭を動かしただけで、強烈な回転性眩暈が襲いかかり、起き上がって床に足をつけようとすれば、まるで厚手のスポンジの上を歩くが如しで、バランスがとれず、前後左右につんのめり這いつくばってしまうとあって、ベッドに寝かされたまま、尾籠な話ですが排便排尿もままならず。尿意はあれども<なに>が機能せずといった体たらくで、看護婦さんを煩わせ、管で小便を出してもらうという惨めな有様です。しかしあれはあまり格好のいいものではありませんね。それよりも看護婦さんの方がきっと嫌がっていますよ。粗末なものを見せられて。
 その後の検査も、ストレッチャーか車椅子での移動と、さながら廃人同様。結局、最終的に見つかったのはなんと、風邪のウイルスに侵されて、炎症を起こした前庭神経の無残な姿でした。前庭神経とは、内耳にあって平衡感覚をつかさどる三半規管の情報を、脳に伝達する左右対の神経だそうで、この片方が打撃を受けていたんです。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-26 13:25

負けるわけにゃいきまっせんばい! 81

  再び舞台へ


 <舞台復帰>

 もともと私が新劇育ちの舞台俳優であることは、前にも述べましたが、映画、テレビと十年余り浮気をしている間に、舞台の方からもすっかりお見限りで。と言っても、大体が以前の私など、まったく無名の風来坊みたいなものですから、舞台育ちなどと偉そうなこと、おこがましくって言えたものじゃありませんけど。それはともかくとして、またそろそろ、舞台もやりたいなあと思っていたその矢先に、昭和六十年(1985)の春、思いもかけず、事務所に舞台の話が舞い込んできたんです。人の縁といいますか結びつきって、何か偶然のようなそうとも言い切れないような、何だか説明のつかないものがあるみたいです。そんな気がしません? たまたまそのお芝居は、私が劇団を辞めて、映画界で仕事をするようになるまでの、大変苦しい時期に、舞台の仕事に誘ってくださって、私を助けていただいた、福田善之さんのお芝居だったんです。
 小国英雄・福田善之脚本、福田善之・津村健二演出、大阪梅田コマ劇場八月・颯爽萬屋錦之介初公演「ご存知一心太助」(役名・土井利勝)。萬屋さんが奇妙な大病に倒れて、再起不能と言われていたにもかかわらず、奇跡的に回復されての復帰第一作の舞台で、私にとっても約十年ぶりの舞台でした。


 <前庭神経炎>

 でも人間、何事もすんなり行かないことの方が多いものですね。しょっちゅうです。
 このお芝居の公演までに、後三ヶ月半しかないという四月十六日の朝、私は突然倒れたんです。いやあ参りましたね。前日まで東映の京都撮影所で、里見浩太朗主演〈長七郎旅日記〉と、松平健主演〈暴れん坊将軍〉の二作品に出演していたのですが、どうしても一日だけ、東京に帰らなければならないことがあり、少しばかり撮影を撮り残したまま、新幹線の最終列車に飛び乗って、夜中の午前一時ごろ我が家に帰宅。疲れていましたので、酒も飲まずにすぐ就寝。その朝方、憎い病魔は襲ってきたのです。皆さん深酒した時に、天井がぐるぐる回り、頭が暗い奈落の底にずーんと、凄い勢いで引き込まれていくようで、物凄く気分が悪くなり、げぇげぇ嘔吐した憶えはありませんか? そんなバカな飲み方はしない? ごもっとも。いやいやあれなんですよ。嘔吐中枢は延髄にあり! なんて知ったかぶりをしている場合じゃありませんが、家中どころか、地球全体が物凄い勢いでぐるぐる回り、目の前は真っ暗になって、頭は奈落の底に引きずりこまれていくわで、脂汗は噴き出し、今にも死ぬかと思われるような恐怖感に襲われ、まさに気が狂う寸前。
 女房はといえば、これまた宿六のあまりにも突然の異常発生に、ただただオロオロするばかり。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-25 14:21

負けるわけにゃいきまっせんばい! 80

 <特撮番組への思い>

 さて、東映制作の特撮番組。戦隊ものです。〈ジャッカー電撃隊〉のアイアンクロー。〈バトルフィーバーJ〉のヘッダー指揮官。〈科学戦隊ダイナマン〉のカー将軍。〈高速戦隊ターボレンジャー〉の暴魔博士レーダ。等々。
 インタビューのたびに何かと格好つけて、「いやあ、悪役の美学を創り上げたい」とか「生活感のある、社会的には肯定できないが、心情的にはすごく共鳴できるという、そういった厚みのある敵役を是非やりたい。でもひとつだけやりたくないものがあります。それは特撮番組の悪役です。特撮番組に出る時は、正義の味方として出演したいですね。そうしないとこれはもう、おやじとして大変なイメージダウンだし、息子まで学校で憎まれたら困りますから」なんて偉そうな冗談を言っていたのが、出演依頼が来たとたんに、一も二も無く「はい、はいッ」と引き受けちゃって、もう節操も何もあったものじゃありません。なんせ一年間約五十本のレギュラーですからねぇ。生活がかかっています。こうなるともう性格俳優じゃなくて〈生活俳優〉になり下がってるんですから、意志が弱いと言うか、自分を正当化するなんてチョロイものです。そうは思いませんか?
 私なんか、そうだッ! これは現代のメルヘンと考えればいいんだ。子供たちに夢を与えればいい、あまりグロテスクだけになってはいけない。悪には悪の、こうしなければ生きていけないという、絶対的な生きる論理を持たせるべきだ。誰だって必死になって生きているのだから。戦場で、殺さなければ殺されるという極限の論理に似ていますが(あまりいい例えではありませんけど)、5レンジャーに対しての、反対行動線としてぶっつかり合うことによって、ドラマが盛り上がり、子供たちが歓喜してくれる。これなら創り手としての、役者の良心に背かないだろう。勝手に小難しい論理を組み立て正当化して参加した次第。そうでなければ、一年間自分が苦しい思いをするというか、不完全燃焼で生きなければなりませんからね。それでもドラマとしてちゃんと成立するんです。発想の転換です。不良性感度の強い世の中だからといってしまえばそれまでですが。どんな子供も無意識のうちに、ちゃんとした何らかの論理を持って観ているんですよ。俳優さんの中には、徹底してグロテスクであり、いやらしく憎らしい奴に演じた方がいいという方もいますが、それはそれで、その俳優さんの役創りに対する考え方ですから、あえて否定はしませんけど。
 驚いたことは、5レンジャーだけにではなく、私にまで沢山のファンレターが来たことです。中学生から大学生の男女を問わず、果てはその子達のお母さん方からまで。バレンタインデーには、チョコレートを贈ってくれた某女子大生。中には奥さんはいるんですか? とか、年令はいくつですか? とか、いつもベッドで写真を抱いて寝ていますなんてずばりとくる、怖い女性ファンまで。そのくせ助平根性をくすぐられて、柄にも無く変にドギマギしたりして、まったくいい気なものです。
 しかし、お客さんの心理って複雑で掴みにくいものですね。いやいや人間という生き物自体が、百人百様の個性を持っていて複雑に出来ているんです。境遇、環境などそれぞれの育ち、生き様によって、皆さんの、ものの見方、感じ方の物差しが一人ひとり違うわけですから。だからこそ、人間関係というか世の中はややこしいし、また面白くもあるわけですが、ドラマの企画にしても、役創りにしても、それがいかに難しいかということです。創造の仕方にはいくつかの解釈がありますが、この役創りはひとつの正解だったんでしょう。皆さんの中にも、5レンジャー世代の方がいらっしゃるんじゃありませんか?


 <マス メディア>

 かと思えば、NHKの大河ドラマ(1987、独眼竜政宗・稲葉是常坊役)。(1995、八代将軍吉宗・稲生次郎左衛門役)。(2000、葵・徳川三代・広橋兼勝役)。などに出演して、もっともらしい顔でそっくり返っていたり。もう何でも屋さんです。
 しかし、テレビという代物は、善きにつけ悪しきにつけ、その影響力はまことに強大なものでして、見る人を何時もことごとく、強烈に引きずり回し引き据えております。私たちがともすると無節操に出演している番組、またその時の言動が――。
 マス メディアは現代社会のモンスターであります。この奔流は凄まじく、その前に立ちはだかって己を見失わないことに、どれほどエネルギーの要ることか――。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-24 19:05

負けるわけにゃいきまっせんばい! 79

 理科の問題で、「あの長い、ウサギの耳は何の役目をしているのか?」、賢明な皆さんはもうご存知ですよね。そうです、体温の調節をするラジエーターの役目をしているのです。種を明かせば何のことはありません。息子は小学校六年生、中学校への受験勉強真っ最中。何日か前に調べたばかりで、仕入れたてのホッカホカ。本来なら親子ともども、大して上等なオツムは持っていないのですから、こんな優勝なんて、奇跡のような場面に展開する筈がないのです。ただただ唖然……?
 〈アメリカ西海岸・ハワイ一週間の旅〉と副賞―オリンパスカメラOM20。これはしめたと内心ほくそえんだものです。「知り合って此の方、一度も旅行に連れて行ってくれたことが無いんだから……!」とぼやく女房。息子の中学校入学祝。この難問が花吹雪一発で一挙解決。
 数ヵ月後、パスポート等諸々の手続きも整い、嬉々として出かける女房と息子に、にっこり笑ってVサイン。チャッカリを決めこんで送り出したまではよかったが、帰ってきてからまたぼやくことぼやくこと。「最低のツアーだったわよ! 向こうに着いたら、別料金のオプショナルツアーばっかりじゃないの、あっという間にお金なくなっちゃったわよ。」 ――そうです、「ただほど怖いものは無い」じゃない、世の中そうそう美味しい話など無いのであります。それでもご両人、ラスベガスだ、ディズニーランドだ、グランドキャニオンだ、ハワイだなどと、彼方此方足をのばして満更でもなかった様子。こちらとしても「あ、そう。あ、そう。」と聞き流して、薮蛇になるようなことは言わぬが花であります。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-20 13:09

負けるわけにゃいきまっせんばい! 78

 <クイズ番組>

 クイズ番組もやりましたね。NHKの〈連想ゲーム〉、〈面白ゼミナール〉などといくつか出演しましたがこれは難しい。ついマジになったりして。ご覧になってる皆さんはちっとも面白くないですよね。彼奴何を一人でむきになってるんだなんて。あれは少しばかりヘマチョンボの方がいいみたいですよ。お茶の間で見る側になっている時はよく当たるでしょう。当事者は緊張してなかなか当たらないものです。出演している連中の陳腐な回答を聞いて、何を言ってるんだか、馬鹿な奴なーんて、ちょっぴり優越感に浸ったりして。皆さんもそう思いません? そんなものです。それがお茶の間のテレビで見る芸能というものです。あれは昔映画館で観た<高嶺の花>であってはいけない。今やテレビは視聴者参加のマス メディアなのですから。あまり優等生ばかりじゃちっとも面白くありません。
 ところがです、やったんです! 堺正章さんが司会役だった、某テレビ局の〈親子クイズ 国語・算数・理科・社会〉、終盤近くまでビリッ尻だったのが、最後の問題(これは親子の間にパネルを立てられ二人で相談してはいけないんです)を親子共に揃って正解! 大逆転! 我ながら驚きましたね――。 いきなり頭の上からドバッと花吹雪!
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by masashi-ishibashi | 2008-08-19 14:43



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