石橋雅史の万歩計

<   2008年 07月 ( 24 )   > この月の画像一覧

負けるわけにゃいきまっせんばい! 54

 それにこの企画は、作者が三島由紀夫さん、石原慎太郎さんや榎本滋民さんだったり、演出は文学座出身の(この時は劇団浪漫劇場を結成しておられましたが)松浦竹夫さん、出演者も新劇畑の人が随分多かったりして、私の性に合ってか、取り立てて別世界に入った感じはせず、新劇時代の芝居創りというか、劇団が標榜するひとつの路線に向かって、仲間内で模索しながら演劇活動をやっていた頃と、同じような気持ちで参加していたみたいな気がします。ここに商業演劇への心構え、認識の無さがあったわけでして、ただしっかりした芝居(演技)をやりさえすればいい(勿論、それは一番大切なことですけど)、そうすれば必然的に皆が認めてくれて、芝居で生きて行ける、それがプロなんだと思い込んでいたところに、それだけではないもっと複雑な、商業ペースに対する、プロとしての認識が少しばかり欠如していたんです。ある意味では純粋だったんですなあ。
 まず何といっても、お客様を呼べる俳優でなければ駄目なんですよ。そんな魅力のある俳優ですか。
 そして、この世界は、1コネ、2柄、3芝居、そのどれが欠けてもうまくいかない、この三つがひとつに揃った時に、花が開き結実するのだと、おっしゃった大物俳優さんがいましたが、大筋のところでは、なかなか言い得て妙といったところでしょうか。
 丸山明宏(三輪明宏)さんと天知茂さんの、妖しく華やかな舞台を横目で見ながら。


 <福田善之さんとの出会い>

 しかし、この東横劇場は、無名の頃の私をフォローしてくださった、福田善之さんとの出会いをもたらしてくれました。昭和四十五年(1970)、東横劇場十月公演、作・演出福田善之、主演・清川虹子「女沢正・あほんだれ一代」という喜劇です。九州一円を大衆女剣劇(剣戟)で鳴らした(沢竜二氏のお母さん)、旅役者をモデルにしたものですが、このお芝居で、座員のひとり、久留米という役を演らせていただいたのが縁で、この頃なんの取り柄もなかった私を、助けてくださったのが福田さんです。以後ずっと、映画界入りするまで舞台でのお付き合いが始まるのですが、この昭和四十五年は、いくつかの出来事を、私の心の中に刻み込んだ年でもあります。

   <五月五日>
     長男 徹郎が誕生。

   <九月>
     福田善之さんとの出会い。

   <十一月二十五日>
     三島由紀夫さんが、市ヶ谷の自衛隊総監室で割腹自殺。

   〇そして、天知茂プロダクションの偽装解散。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-18 12:48

負けるわけにゃいきまっせんばい! 53

 この第一回目は二部制で、一本は番匠谷英一訳、石原慎太郎潤色、松浦竹夫演出、中山仁主演「若きハイデルベルヒ」(役名・貴族一、学生ゼッペル)。もう一本が、三島由紀夫作、松浦竹夫演出、丸山明宏・天知茂主演「黒蜥蝪」(役名・刑事D)。もっとも、商業演劇というスターシステムの中で、当時の私など看板になろうはずもなく、ご覧のようにろくな役ではありません。事務所(この頃、A&Aプロモーションから、天知茂プロダクションと名称が変わっていました)が天知さんにくっつけて、出演させてくれただけのことです。それでも、舞台出身の私としては、これもひとつのきっかけになればと、ひそかに助平根性を胸に秘めての出演でした。
 劇団を辞めた後、これまでの間にも、何本かテレビのゲストやセミレギュラーなどをやってはきましたが、俳優として、日の当たる足がかりにはならなかった。時流もあるでしょうが、それをモノに出来なかった自分にも、大いに問題があったであろうことを、思い合わせてみるとき、どんなに小さなことでも、自分から求めてチャンスを作らなければ、棚から牡丹餅など何処にもないことを肝に銘じて。
 この路線は何本か続き(勿論、主演はすべて丸山明宏さん)、その中の、昭和四十三(1968)名古屋の御園座八月公演「黒蜥蜴」(作、演出、役名、同じ)。昭和四十四年(1969)東横劇場二月公演、榎本滋民作、松浦竹夫演出、「マタハリ」(役名・ジャワ島土民兵アヨディア、銃殺分隊長アンドレ)。同年(1969)大阪、新歌舞伎座七月、丸山明宏大阪初公演、丸山明宏潤色、松浦竹夫演出「椿姫」(役名・夜会の客ルイ)、「黒蜥蜴」(作、演出は同じ。この時より役名が用心棒原口に変わる)。といった流れの中で、「黒蜥蜴」の京都南座公演。また長崎旅公演などと、出演させていただきまして、役もそれなりにちょっと面白い少しばかりいい役になりましたが、それはそれだけのものでして、商業ペースの中で、俳優としてまた商品として、業界が認めてくれたわけではさらさらなく、自分で勝手に錯覚を起こし、自己満足をしているだけのこと。人様は何とも思ってなどいないのです。主役や準主役などのメインキャストはともかく、脇の役は、ただプロダクションの売込みで集められた座組みの中から、その人の柄など見合わせて、振り分けられたキャスティングに過ぎないのに、私など馬鹿ですからすぐに喜びます。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-17 12:26

負けるわけにゃいきまっせんばい! 52

 ご大層な言い方をしてしまいましたが、ひっくり返してみれば、これほど自分勝手な人間もいないと思います。エゴイスティックというか我が侭で、いつもゴーイングマイウエイ。それでもまだ天涯に独り身の境遇であれば、周囲に波立つ波紋の影響も軽微でありましょうが、親、兄弟、妻子、一番自分にかかわりのある人たちに余計な心労をかけ、何らかの犠牲を強いた上に自分があるのだと思う時、初心を貫いているのか、それとも己の我が侭を押し通しているのか、自分では何としても前者であるとこじつけて、意を新たに、気持ちを立て直しては突っ張っているのですが、冷静に周りのことを見つめてみれば、矢張り己の欲望のために、後者の罪を犯していることも、紛れのない事実なのであります。なんともこの種の熱病患者は、両者の心理的鬩ぎ合いの狭間に立って、十分にことの是非を認識しているにもかかわらず、この人種独特の尺度で、ものを正当化していくという、なんとも性質の悪い病でして、生涯熱の冷める兆しも無く、来世はおそらく、いろんな人を泣かせた分の業を背負って地獄に落ちることでしょう。


 <初めての商業演劇>

 初めての商業演劇に出演したのが昭和四十三年(1968)四月。松竹名作路線と銘打ち、丸山明宏(現在の三輪明宏)さんを主役にした芝居が、松竹演劇部で企画されて、渋谷の東横劇場(東横デパートの上階にありました、地下鉄の音がよく響く所でしたが)で上演されることになり。劇団を離れて以来三年ぶりに、劇場の舞台を踏むことになりました。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-15 12:17

負けるわけにゃいきまっせんばい! 51

 よほどの聖人君子でない限り、およそ凡人の本音を正直に露呈すれば、まずは間違いなくわが身が可愛い。いやいや人様だけのことではありませんぞ。私だって、大威張りで紛うことなき凡人でありますから、あまり立派なことは言えませんけど。この世の中、大体が大凡人の集まりでございまして、だから何時もいざこざが絶えないのであります。
 さて一心同体でこのサバイバルゲームを生き抜くぞと、まなじりを決して鬨の声を上げた、われらがマネージャー氏、軒先を借りている間はよかったのですが、同居人となって、毎月決まった給料が貰えるようになったとたんに、あの意気込みは何処へやら、それこそたまに仕事を持ってはくるものの、何が何でもという気迫は消えうせて、無いものは仕方がないじゃない、と開き直る始末。
 事務所が潰れて、みんなの出演料も使い込み、それもチャラにして、みんなで再出発しようと意を決した時は、そんな負け犬の論理では、生きて行けなかった筈だったのが、いくらも経たないうちにこれですからね。それでもここに四年間ご厄介になったんです。
 人脈を持たない無名の俳優の弱みで、この業界に、どこからアクションを起こしたらいいのか見当もつかず、かすかな可能性に賭けて仕事の場をただ待つのみ。人前では笑みを見せて、冗談を言いごまかしてはいても、夜、床に入ってひとりになると、みっともないもので、頭の中は悪い妄想ばかりが次々と膨らんで、神経がぴりぴりと千切れそうに脈打ち、胸から胃の辺りが締め付けられるようで、息苦しくなって顔が引きつる有様。デスクの女性に少しばかりのお金をお情けで貸してもらい、生活費の繋ぎにしたりして。事務所から、出演料の前借をするというのならともかく、そんなものは全く無いのですから、情けない話です。名も無く貧しく美しくなんて、そんなポエジーの世界ではないのです。名も無く伝も無い俳優には、ただ辛抱強く待つことだけしか手段がなく、また俳優は常に独りぼっちで、果てしの無い、精神的な心の放浪を科せられる宿命を持っております。その苦痛の限界を、どこまで耐えられるかどうかなのです。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-14 11:56

負けるわけにゃいきまっせんばい! 50

しかしながら蛇の道は蛇であります。社長兼マネージャーのA氏、たちまちにして、都合のよい所を探してきました。同業の事務所で、そこの女性事務員にデスクワークをお願いし、それなりの謝礼をその事務所にお支払いするということで、進軍ラッパを吹き鳴らしたのです。が、そう簡単に戦況は好転しようはずがありません。そこでどうせのことなら、その事務所と合併しようということになったのです。
 その事務所は、A&Aプロモーションと言い、現在は賑やかな、原宿の竹下通りにありました。
 当時、あの界隈は大変静かで(昭和四十年代のはじめ頃でしたか)、民家が立ち並び、その一角に建っていた木造アパートの一室で、今は故人となられた、天知茂さんと、ナレーションを主にやっていらっしゃった、芥川隆行さんのお二人を中心に活動するつもりで、設立したプロダクションだったようですが、その時は、芥川さんは参加されず、天知さんと他に数人の俳優さんがいた様子で、デスクの女性がひとりと、マネージャーがひとりでやっていましたし、こっちも数人の俳優とマネージャーひとりですから、天知さんが忙しいということもあるし、合併しマネージャーが二人になって、連携プレーをした方が、お互いに得策だろうとのことだったのです。
 が、つまるところは普通の会社と同じで、形の上では合併ですが、どうしても吸収された方が外様でございまして、小さくなっております。しかし、何たってこっちは流浪の民だったんですから、雨露を凌げるお家に入れてもらっただけでも、ありがたいと思わなければならないのであります。
 それはよいとして、ところがです、ここに由々しき変化がおきた。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-13 15:18

負けるわけにゃいきまっせんばい! 49

 時も時、仲間という劇団の制作部にいたA氏が劇団を辞めて、制作とタレントエージェンシーを兼ねた、芸能プロダクションを作りたいと言ってるけど、参加してはどうかと勧めてくれ、マスコミの世界に道をつけてくれたのも、そのマネージャー氏でして、彼や彼女が現在どうしているのか、まったく消息を知らないでおりますが、本当にありがたく思っています。
 その新しく作られたプロダクションS社は、土方弘、阿部寿美子などと、集まった俳優たちも新劇出身が多くて、これは話も合うのじゃないかと思っていましたが、表面はともかく、ここはもうすでに個々の世界であります。同じプロダクションに所属はしていても、めったに顔を合わせるわけではなし、マネージャーが、テレビ局の制作部や演出部へ出かけて行って、出演交渉が成立すれば、俳優はそれぞれに台本を貰って、局に出向き、衣装合わせ、時代劇でのかつら合わせ、リハーサル、そして本番といった具合で、個々に現場へ行って、他流試合をやってくるのであります(今ではほとんどが、キー局の下請けになってる制作会社、例えば東映テレビプロダクションとか、大映テレビとか、東宝テレビと、他にも沢山ありますけど。映画も似ています)。事務所は基地というか、センターみたいなものですね。かといってそこへ帰還したところで、別に人間的な温もりがあるわけでもなく、大変ビジネス・ライクな所なのであります。電話で出演依頼を受け、事務所へ台本を取りに行き、テレビ局へ行って仕事をする。そして月に一回の出演料支払い日に、また事務所へ出かけて行って、マージン10%、源泉税10%、合計20%を出演料から差し引き、残り80%を貰って帰ってくるだけの繰り返し(現在は、手取りのパーセンテージが随分少なくなっています)。しかしまあ、これから新しく、いろいろな人たちとの繋がりを大切にして、仕事の基盤を固め広げていかなければいけない、と思ったのもつかの間、まだろくに仕事もしないうちに、事務所が制作費の不渡りを食らって、一年ほどでパンク。当然のこと俳優陣もあおりを食って、またもや根無し草の流浪の民。手元に残ったのは、未払いのギャラと深刻な不安のみ。しかし、誰しも生きていくためには必死であります。社長のA氏にしても、劇団は辞めましたは、事業には失敗しましたはじゃ洒落にもなりません。そこでA氏も一念発起、失敗した制作の方は切り捨てて、タレントエージェンシーだけでも、もう一度やり直したいから、みんなも協力してくれないだろうかとの懇願。勿論、俳優たちも、それで立ち直れるのならお互いに幸せと、取りはぐれた出演料もチャラにして、さあ再出発ということに一件落着。ほんのちょっとばかり希望が見えてきましたが、さて、肝心なデスクワークをする事務所がありません。小さな事務所を借りるお金すら無い、すってんてんのオケラだったんです。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-12 18:34

負けるわけにゃいきまっせんばい! 48

 <芸能プロダクション>

 前の項でも書きましたが、それこそ右も左も分からない世界に、一人で飛び出したのですから、開けてびっくり玉手箱。みなさんニコニコしながらつれないこと。文化座を先に辞めた、先輩の森幹太さんが所属し、その弟さんの鈴木潔氏が社長だった、文芸プロダクションへも、面倒をみてもらえないかとお願いに行きましたが、さりげなく断られるし、文化座時代にホームグランドのように仕事をしていた(レギュラーもゲストも随分やりました)Nテレビへ行っても、軽く受け流されて、まったく仕事はなく、路頭に迷うとはこのこと。あんなにテレビドラマが多かった時代にですよ。劇団にいたころはそれなりに、ちゃんとした仕事が多い方だったのにと――、どいう仕組みになっているのか、その頃は皆目存じ上げませんでしたけど。うぶだったんですね。今ならいくら鈍な私だって少しは分かります。真面目にちゃんとしたいい芝居をやりさえすれば、仕事は必ずあるものだという考え方は、純粋で一番大切なことであり、失ってはいけないことではありますが、それだけでは、ガキの考え、甘ちゃんなのであります。
 各劇団、各芸能プロダクションが、雨後の竹の子のように乱立して、それぞれに水揚げを競い合っている真っ只中、マネージャー同士の縄張り、仁義、背中で吠えてる唐獅子牡丹、なんてほどおっかないものではありませんが、ポスターバリューのある俳優さんならともかく、私ごときは蚊帳の外。世の中すべて弱肉強食。劇団という温室育ち、乳母日傘の私(? ウソッ)など想像もつかない、情実、裏金(バックともいう)、袖の下、下界は熾烈を極めたサバイバルゲームなのであります。
 勿論、すべての関係者がというわけではありません。私など当然そいう姑息な才覚は持ち合わせておりませんし、お金もありませんから。
 テレビ映画「空手風雲児」の時の手配し――、じゃない、そんなことを言ったら叱られます。その時制作協力で、キャスティングや演技事務をやっていた、Bプロダクションのマネージャー氏が、時々お情けで回してくれる仕事と、女房の細腕で稼ぐわずかな給料まで巻き上げ、亭主関白面をして細々と生きながらえるこのいじましさ。青雲の志、今いずこ。少年よ大志を抱け! いやもう少年じゃない。馬鹿なことを言ってる場合じゃないのです。ローン・ウルフ(Lone wolf 一匹狼)なんて格好のいいものじゃありません。何の得る事もないのに、輪の中をぐるぐると、必死になって駆けてずってはくたびれ果ててる、ハツカネズミといったところでございます。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-11 12:48

負けるわけにゃいきまっせんばい! 47

 さてさて、このこjとが、更に厳しい生き方を余儀なくさせられることは、火を見るより明らかですが、これで自分が何ぼのものか、その真価がはっきりと認識できるんです。その結果、泣いても笑っても、自分はそれだけのものでしかないんですから。これまで不透明だったものが、透明になるだけでも、納得できると言うか、踏ん切りがついて精神衛生上いいじゃありませんか。
 でも、簡単に退却は出来ません。これまで費やしてきた人生を投げ出して、負け犬になるわけにはいかんのです。迷惑をかけっ放しの妻や親兄弟の手前も。
 先にも述べましたように、極言すれば劇団は創立メンバーのものなんですから、そこに何か不満があれば、自分が外に出て同士を募り、新しく劇団を結成すればいいわけで、ただその創造活動が、多くの人たちに認められるかどうかは別問題です。しかし、その劇団制にも疑問を持ってしまったのですから、劇団という小さな枠にはまらないで、必要なスタッフ、キャストだけを集めて制作する、プロデュースシステムという、大きな世界にチャレンジしてみるしか進む道はなくなったのです。
 これで食べていければ、たとえかつかつの生活だとしても上々だ、本音というか欲を言えば、収入も十分に潤ってくれて、少しばかりお金が貯まり、自分の好きな芝居を、気の合った仲間たちとプロデュースして、舞台に乗っけられたらいいなあなどと、夢を見たのですが、それこそ夢は正に、夢のまた夢で、現実はそんなに柔なものではありません。
 いやはや、これからの八年間もまた惨憺たるものでした。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-10 11:30

負けるわけにゃいきまっせんばい! 46

 それともうひとつ、長い間じっと周りのいろんな劇団を観察し、押し詰めて見ていますと、毎年、研究生こそ募集しますが、結局はほとんどの劇団が、創立メンバー一代のもののような気がします。若くて負担にならない兵隊なら、労働力としていてくれれば助かるし、育てて行くうちに、たまには当たりもありますから。つまり次の時代へ向かっての可能性の問題です。私のように、三十二歳にもなる無名の俳優なんか、最初から避けておいた方が、変に気持ちの負担にならなくて無難です。もし私が採用する立場だったら、私もきっとそうしたと思います。
 だからこれでいいのです。再び既成の劇団に入り、永久就職をしたような錯覚を起こして芝居をするという、甘ったれた過ちを犯そうとしていることに、やっと気がついたのです。
 何のために、八年間もいた劇団を辞めたのか、自分でも本当の意味がはっきりしていなかった。ただ、このままでは駄目になるという、曖昧模糊とした中での、本能的直感だけが、情緒不安定に駆り立てていて、はっきりした分析が出来ていなかったのです。その人が持っている、才能とか資質がどうしても欲しくて、是非にと乞われて行くのなら分かります。そんなものも認められていないのに、もう一度、自分を考えてみろってなもんです。
 人間、究極は独りですよ。その人という個に代わりはありません。そしてその一人一人の個性がぶつかり合って、ひとつの創造物が生まれる。ものを創る時に無駄なものはいりません。必要なものだけあればいいんです。たとえ一見無駄なように見えても、必ず必要性があります。だからこそ。個々の存在価値が生まれてくるのです。
 そこで視点を新たに、今までの劇団制による演劇活動の形態を、頭の中から払拭しまして、一匹狼になり、なんとしても頑張ってみせるぞッ――、と改めて意を決したのであります。
 いやあ、ここまで説明するのに、随分長くかかりましたね、私もくたびれましたよ。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-09 12:25

負けるわけにゃいきまっせんばい! 45

 それはそれとして、芸術祭参加作品なども盛んに制作され、今まで全く別の世界で仕事をしていた、歌舞伎や新派の俳優さんたちとも、同じ番組で一緒に仕事をするようになったんです。勿論、その他いろんなジャンルの方たちとも。
 ある大物新劇俳優の方などは、コマーシャルに出演するような奴は、俳優の屑だなんておっしゃっていましたが、その舌の根も乾かないうちに、有名な某映画俳優と、飲み物のコマーシャルに出ていらっしゃいました。
 本音と建前を詮索する必要は別にありませんが、それまでラジオか、全く芝居とは関係のない仕事をしながらしか、芝居が出来なかった大多数の新劇人にとっては、自分の技術を生かして、経済基盤を確保できる、願ってもない最大級の仕事場だったのです。そりゃごく限られた人は、映画にも出演していましたよ。それに商業演劇のプロデュースシステム。昨今は新劇もプロデュースシステムが盛んになっていますけど。
 とにかく時代は変わったのです。
 俳優であれ演出家であれ、プロである以上、ただ劇団の看板とか全給料制に頼って、肌を温め合っているようでは、生きるということにしても、ものを創るということにしても、甘いと言われても仕方がないでしょう。芸術と経済の問題を模索するという、本当の意味は何ななんでしょうか。
 この世の中に公平と言う言葉はありますが、平等なんてことは金輪際ありません。無能なものは必ず自然淘汰されていくんです(もっともこれは私自身に言い聞かせていることですけど)。劇団も、うっかりすると、世界の、いやそんなに大きなことを言わなくてもいい、日本の中だけでさえ、外部に出れば全く通用しない、自分だけでプロと称している、演劇愛好者の掃き溜めになりかねません。その人たちがやっていることは、独りよがりのマスターベーションです。プロの俳優、プロの演出家、いやプロと言われる人は何の世界でも同じです。その人がどんな仕事をしているかで決まります。
[PR]
by masashi-ishibashi | 2008-07-08 16:09



俳優石橋雅史ぶらぶら日記
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧