石橋雅史の万歩計

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負けるわけにゃいきまっせんばい! 63

だから私も言ってやったんです。「この五万円は出演料ではなく、名刺代わり、いや車代としてやりましょう。その代わり、もし太田さんが、私の出来映えをこれは流石だとお認めになられたら、この次、何かの作品に出演させていただく時は、私の言い値のギャラをいただきますよ」って大見得を切って切り返しましたら、これまた私の言に一言物申すでもなく、平然と「ああ、いいですよ」って。三十九歳にもなった無名の俳優は、よほど甘く嘗められていたんです。どうせ二度と、製作者側から出演を依頼するほどの俳優じゃないと思われていたんでしょうね。でなければそんな無責任な、人を食ったような返事は出来ませんよ。
 ともあれ出演することが決まって、九月早々に撮影開始。千葉真一氏とは、テレビ映画の〈キーハンター〉で何度か一緒に仕事をしていますが、監督の鷹森立一さんとは初対面。スクリーンの画面いっぱいクローズアップになった果たし状。その文面に、私の声がかぶさって始まるこの映画のトップシーン。その凄絶を極めた人間の闘争。千葉真一氏演じるところの<牙>と私が演じる<鮫谷一貫>の決闘は、風雨逆巻き立ち木は倒れ、稲妻が走り雷鳴とどろく中で、壮絶な闘争のドラマに創り上げられていったのです。ケロイド状に片目を潰したメーキャップは、バランス感覚と距離感を狂わせ、びしょ濡れになった身体は芯まで冷え切って、この長時間にわたるアクションシーンの撮影は、大変なものになりました。大見得を切っただけのことはあって、日尾孝司の殺陣は、見事の一言。日体大出身で、空手もやったことがあり、運動神経のいい千葉ちゃんこと千葉真一氏の動きは抜群。消火用ホースでの猛烈な散水による人工雨、大型ファンによる人工ハリケーン、アークによる人工稲妻等の特殊効果とも相俟って、素晴らしいイントロシーンが出来上がったのです。
 この映画で、<牙>の妹役を演じたのが、悦ちゃんこと志穂美悦子の、女優としてのデビュー作品ではなかったかなあ。この時は私に目を潰される役でしたが、次の作品、つまり「激突・殺人拳!」では私の妹役をやり、その後、東映アクション映画の主演女優へと上り詰めていくのですが。この時、たしか芳紀まさに十八歳のピチピチで可愛い盛りです。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-31 13:49

負けるわけにゃいきまっせんばい! 62

えらい反動でがっくりしましたよ。五万円だと言うんです。プロデューサーがそれだけしか出せないって。冗談じゃありませんよ。いくら撮影日数が少ないからと言ったって、あんまりですよ。内心は未練たらたらだったんですが、テレビ映画一本だってそんなギャラじゃやってないよって、大法螺吹いて断ったんです。そんなに安い商品価値だと見られるのは悔しいじゃありませんか。私にだって落ちぶれてはいても何がしかのプライドはあります。このちょっとばかり無理しちゃって開き直った虚勢が、後々よかったのかなあ――。
 日尾氏もこれには困ったらしいんです。五年ほど前の共演でどう気に入ってくれたんだか、どうやら本当に撮影所で大見得を切ったらしく、それじゃ俺の面子が立たないから、何とかやってくれよってことなんですね。しかしこっちにすれば、何はともあれこの業界は、次回に出演交渉があったとき、必ず前回出演した時のギャラを前例に持ち出して、スタンダードランクを決めてしまうといった、慣習みたいなものがあるし、それに甘んじて東映本編に初出演したんでは、後々困ることになるから、折角のありがたい話だけど勘弁してよと、こっちが頼むような格好で、何度かそんな応酬が二人の間であり、その結果、じゃあ出演料ではなくて、車代もしくは名刺代わりということで、プロデューサーに会ってくれないかと言う、日尾氏の気持ちを受け入れ、舞台の千秋楽を打ち上げ次第、撮影所へ行くことになったんです。
 そのときのプロデューサーは太田浩児さんという、今はもう故人となられた方でしたが、日尾氏が言っていたことは本当で、実はある俳優さんをキャスティングしていたのですが、それをキャンセルし、殺陣師の職人気質というか、日尾さんが、どうしてもあなたでなければと言うので、お任せしたんですが、前の俳優さんの出演料でキャスト費が計上されて、すでにクランクイン(撮影に入ること)していますので、この枠を崩すわけにはいかない。だからあなたがこの出演料でやって下さるか、下さらないかの二つに一つどっちかしかないんです。と大変クールにおっしゃるんですね。日尾氏と違って、さすがはプロデューサー。何とかこの出演料で引き受けてもらえないだろうかとか、じゃあもう少し色をつけましょうとか言うのではなくて、二者択一だとおっしゃる。おまけに「石橋さんは俳優さんですか? 」ときたもんだ。いきなりこれですからね。さすがにむっとしましたよ。この世界、メジャーに顔を知られていないと、こういう対応をされるんだなあと思い知らされました。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-30 14:02

負けるわけにゃいきまっせんばい! 61

 <映画との出会い>
 
 ことの次第をよく聞いてみますと、たまたまこの時の芝居に、東映の賀川雪絵ちゃんが出演していたので、その楽屋見舞いに来ていたんだそうでして、しかし、まだパンフレットを見ていなかったものですから、私が出演しているなんて思いもしなかったらしいんですね。それがいきなり暗闇の中に、扮装したままの私がにゅうっと現れたものですから、本当jに目を疑うほどびっくりして、そうでなくても普段から目つきが悪いのに、更にその目をぎょろつかせて見入っていたらしいんです。まったくどっちがすっとこどっこい野郎の人騒がせだか分かりませんけど。
 それはそれとして、その彼が持ってきた仕事の話というのは、東映の本編(劇場用映画)だとのこと。マネージャーもいなくて生活も苦しく、少しでも仕事が欲しかった私にとっては、思いもかけない福音で、もう舞台の方はそっちのけ、思わず乗り出して詰問! いやいやそんな失敬な……、第一、男がそんなにころころと、軽薄に喜びを面に出すのはみっともない。「武士は食わねど高楊枝」なぁーんて言っちゃって、その実、内心はわくわくと浮き上がってしまい、まるで落ち着きを失っちゃっているのでありますから、どう繕ってみても、見透かされているようなものであります。
 彼いわく、今、東撮(東映東京撮影所)で、梶原一騎原作「ボディーガード・牙」、サブタイトル〈必殺三角飛び〉というアクション映画を、千葉真一氏の主演で撮影している。この映画のイントロ(イントロダクション・最初の導入部)の部分で、千葉氏と果し合いをする空手家がいるんだが、その役をこなすことの出来る格好の俳優が見つからない、ドラマの発端になる遺恨試合なので、なんとしてもドラマチックに仕上げたい。
 それにはしっかりした芝居が出来て、且つ又、本当に空手という武術を修行している俳優が必要だ。ついては自分の知っている男で、石橋雅史というぴったりの俳優がいる。俺が連れてくるから任せてくれと、プロデューサー氏を説得し、そのシーンの撮影日程を変更。あんたを探し回っていたんだよって、まあ泣かせるような、嬉しいことを言ってくれるじゃありませんか。
 勿論、うんもすんもなくOKですよ。のどから手が出そうなくらいだったんですから。
 ところがどっこいしょ、出演料はいくらなのと聞いて二度びっくり。ずっこけましたね。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-29 13:01

同級生

 先日、日大芸術学部演劇学科二七会(昭和二十七年度入学の同期会)の連中が、久しぶりに新宿歌舞伎町の小料理屋に集まった。しかし人の世の無常は如何ともしがたく、八十数名いた同級生は、早くも鬼籍の人となったり、体調著しく悪かったり他の事情などで欠席、体調不良を押してでも出席出来たのが約二十人弱。まさに生者必滅、盛者必衰である。
 いよいよ夏本番、このくそ暑い季節を一杯やりながら暑気払いでもしようじゃないかと、ケーシー高峰氏と相談。彼の好意に甘えて、彼の家の素敵なお庭でバーべキュー会をやろうと、過日元気そうだった級友に通知をしたのだが、蓋を開ければ、参加者はたったの五人、ケーシーを入れて六名。当日、天気が悪かったのと蚊が多いとのことで、急遽、いわき湯元の温泉ホテルでの宴会に切り替え、それこそ地元のケーシー夫妻に一切合財、何から何までご負担散財をかけてしまう結果になってしまって恐縮の極み。ともあれ感謝、感謝!。
 ともかく、同級生は勿論、縁のあった人とは、元気なうちになるべく多くの良いコミュニケーションを持つように心がけておかないとね。歳月はあっと言う間、気がついたときはもう後がありません。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-28 14:36

負けるわけにゃいきまっせんばい! 60

 <縁に連るれば唐の物>

 〈何かの縁で、思いがけないところに、手ずるが出来る〉と言う譬えですが。
 前述しました、昭和四十八年(1973)、新宿コマ劇場の八月公演「女どろどろ物語」の時です。公演中のある日、舞台から引っ込んできた私は、他の場の芝居を観てみようと、客室の後方にある監事室(舞台の進行状態が見えるようになっている、ガラス張りの一室)に入ったんです。そこに先客が一人いまして、私が入ってきたのに気づきふっと振り返りました。勿論、開演中ですから明かりは消してあり真っ暗です。まして明るいところから入ってきた私などは、鼻をつままれても分からないくらいなのですから、先客が誰なのか皆目見当が付かないわけで、そっと隣の椅子に座って舞台の方を観ていますと、その人物は更に顔を近づけてきて、舞台から洩れる明かりを反射させ、ぎらぎらした目で、私の顔を食い入るように見つめているんです。このすっとこどっこい野郎、気持ちの悪い奴だなあと思って目を合わせたとたん、「石橋っちゃんじゃないか?」って声をかけてきたものですから、私もびっくり、「誰? 誰だよ?」と聞き返したところ、「俺だよっ、日尾だよ!」って言うものですから、二度びっくり、彼はずっとそこで芝居を観ていたわけで、暗がりに目が慣れていたわけですね。
 そうです、東映東京撮影所の殺陣師であり、俳優の日尾孝司氏だったんです。そりゃあ吃驚もしようというものです。彼とはその五年ほど前に、東映の東京撮影所で撮っていた、テレビ映画「特別機動捜査隊」、サブタイトルが<決闘>という作品で共演したことがあり、それ以来だったんですから。彼が、田舎から上京してきて、ギターの流しをやりながらボクシングに夢を賭け、ジム通いをする青年(日尾氏は京都の出身で、立命館大学時代は実際にボクシング部員だった)。私が、現代版の平手造酒とでもいうか、身を持ち崩した空手使いの用心棒。最後に二人が決闘するというストーリーでした。
 すごく懐かしくて、「随分久しぶりだねえ――」と言いますと、彼は大変急いている様子で、いきなり「いやあ、随分探してたんだよっ!」って言うんです。そりゃそうですよ、プロダクションをお払い箱にされた、独りぼっちの無名の俳優など、数年も経てば何処にいるか探しようがありません。それこそ藪から棒みたいなものです。何のことかと聞きましたところ、「仕事のことだよッ!」って言うんです。この再会が後々、東映と深い繋がりになって行くとは、夢にも思わなかったし、彼もその時は多分そうだったろうと思います。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-25 13:13

負けるわけにゃいきまっせんばい! 59

 もうひとつ、その俳優が売れるか売れないかは、プラスαでしょうか。その人の身体全体から醸し出す、雰囲気といいますかオーラーといいますか、魅力です。この魅力は、色気なども同じですが、創ろうと思って出来るものではなく、その人が持って生まれた天性のパーソナリティーと、生き様から出てくるものでしょう。お芝居がしっかりしてうまい人はたくさんいます。だからといって、必ずしもその俳優が人を惹きつけるとは限りません。それじゃお芝居は下手でもいいのか、といえばそれも駄目です。両方を兼ね備えた時に、初めてお金を払っても観られる、観客を魅了することの出来る俳優が成立するのです。これはライブであるお芝居も、また間接的にお客さんと接する映画やテレビでもまったく同じことです。ひとはみんな自分に無いものを欲しがるものでして、お客さんもそうです。映画やお芝居を観ることによって、視覚的に劇中人物と同化し、無意識のうちに疑似体験し心を揺さぶられるのです。まあ、そこいらのところに、クリエーターとしての私たち側からすれば、芝居創りに対する、やりがいとか喜びを体感してるんですけどね――。一種のナルシストかな……?
 話を元に戻します。運命の流れと言いますか、出会いの広がりは、思いもかけないところへと発展していくものですね。福田さんに拾われて、商業演劇の流れに乗り舞台に出演していたことが、ある時、ある所で、ある人に出会い、映画出演へと繋がったんです。「君は映画に向いているんじゃないかなあ」とおっしゃってた、長谷先生が亡くなられてから十六年目。福田さんとの出会いがなかったら、この劇場にも出ていなかったでしょうし、そうすれば恐らくこの人と顔を合わせることもなく、映画出演の話は他の人で決まっていたでしょう。となれば当然現在の私は無かったわけです。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-23 13:12

負けるわけにゃいきまっせんばい! 58

 ともあれ、この一連の舞台で、やっと商業演劇の幕の内にもいくらか馴染んできて、その難しさも面白さも、よい面もいやらしい面も、俳優として、また人間としてのしたたかな生き様を、垣間見たような気がしました。その稽古から千秋楽までの約一ヶ月半から二ヶ月ほどの間に、商業演劇の芝居創り、幕の内の人間関係、プロセニアムを挟んでの、舞台とお客様との交流。新劇時代に培った芝居の創り方にかてて加えて、少しばかり成長したような気がします。
 最近はお芝居のチケットも結構高いですよね。
 「お客さんって、あんな高い観劇料を払って、わざわざ劇場までよく来るよね?」「そりゃあ、是非観てみたいなあって芝居があれば、少しぐらい散財しても来るでしょうよ」「そうかね?」「馬鹿だなあ、たまには芝居でも観て楽しみたいとか、何かあるでしょうが――」
 そうなんですねぇ、楽しむとか、感動するとか、お客さんは意識するしないに関わらず、お芝居の中にカタルシス(感情を解放して快感を発生させる、精神の浄化作用)を求めているんです。これがお芝居の原点なのです。芸術性の高いものや、啓蒙的なものの中に、ひとつの意義を求めることも勿論結構なことですけど、まさにかてて加えてエンターテインメントであります。楽しませる、感動させる。この中に一本筋の通ったテーマーが流れていたら、こんなにいいことはないじゃありませんか。
 お客さんは、交通費をかけ、高い観劇料を払って劇場に入り、芝居を観て幕間で食事をし、帰りには、そこらの喫茶店あたりでコーヒーでも飲みながら、ちょっとばかりおしゃべりなどして帰りたい。お酒の好きな人なら、一杯飲み屋で軽くパイイチやりながらというところですか。さしずめ私などはその口ですけど。
 ともあれ、お芝居をひとつ観るということは、娯楽費としてもかなりの出費になるわけでして、お客さんに、今日の散財は少しも損じゃなかった、と思っていただくためには、それだけのものを還元して差し上げなければなりません。それには、観劇料を払って劇場に行かなければ観ることの出来ない、高度な技術(演技力。勿論、舞台を構成する各パートの総合的なクオリティーも当然ですけど)を十分身ににつけて、皆さんを楽しませてあげられる、感動させてあげることの出来る俳優でなければと、自覚することですよね。言い換えれば、お金がいただける俳優になること、それが本当のプロというものでしょう。誰でもが出来ることをやっていたのでは、プロとはいえません。誰にでもは出来ないことが出来るから報酬がいただけるんで、まさにプロであります。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-22 13:11

負けるわけにゃいきまっせんばい! 57

 東横劇場で上演した「女沢正・あほんだれ一代」は、この後すぐにNHKの銀河ドラマでテレビ化され、私もレギュラー出演。昭和四十六年(1971)新宿コマ劇場五月公演、作・演出福田善之、主演・江利チエミ「白狐の恋」(パンフレット等紛失のため役名など失念)。昭和四十七年(1972)新宿コマ劇場四月公演、春の東西大喜劇、竹内勇太郎原作、脚本・演出福田善之、主演・清川虹子「女赤帽物語」(役名・根本)。同、再演(名古屋、中日劇場)。昭和四十七(1972)新宿コマ劇場四月・江利チエミ特別公演、山本周五郎原作<水ぐるま>より脚色・演出福田善之、主演・江利チエミ「恋ぐるま」(役名・白山坊)。昭和四十七年(1972)明治座、森繁劇団七月公演、オー・ヘンリー短編集より、作・演出福田善之、主演・森繁久弥「業平金庫破り」(役名・小田刑事)と、脚本・安永貞利、紙屋五平、演出津村健二、主演・森繁久弥「浪花かんざし恋の勝負師」(役名・三好清吉)の二本。この森繁久弥さんの舞台は、東宝演劇部製作でしたが、東宝現代劇の契約俳優さんや、森繁さんのファミリーが大勢いる中で、私のことを福田さんが強力にというか頑固に推薦したんだと、その時のプロデューサーN氏にぼやかれたことがあります。貴方でなくても、うち(東宝現代劇)には、給料を払ってる俳優が沢山いるんですと。
 他の舞台のときも、同じようにして私を助けてくださったんでしょう。昭和四十八年(1973)新宿コマ劇場、八月喜劇人祭り、河竹黙阿弥の原作より、作・演出福田善之、主演清川虹子、大江戸浮世草紙「女どろどろ物語」(役名・鬼勝)。これまで挙げてきた舞台は、勿論みんな福田さんの作・演出ですが、ここでほんの少しばかり、福田さんのことに触れておきます。
 現在は、日本演出者協会の理事長を務めていらっしゃいます。昭和六年(1931)の生まれですから、世代はほとんど同じで私より二歳年上のお兄さんです。出生地は東京。東京大学文学部仏文科を卒業。新聞記者、演出助手を経て劇団青芸を結成。併行して戯曲「長い墓標の列」「遠くまで行くんだ」「真田風雲録」「オッペケペ」「袴垂れはどこだ」などの秀作を発表し60年代演劇の旗手として注目され、その後は新劇にとどまらず、商業演劇の劇作、演出も手がけ、幅広く活躍。昭和四十五年(1970)の、私との出会いはちょうどそんな時だったのです。1990年代に入ってから、いろいろな賞を受賞していらっしゃいますが、また後ほどのことにしましょう。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-21 13:57

負けるわけにゃいきまっせんばい! 56

 その後、私が映画(劇場映画)で認められて騒がれ始めたとき、彼は再び自分のプロダクションを立ち上げていた様子で、私の顔を見ては、「今何処にいるの? うちに来ない……」としつこく付きまとっていましたが、恥知らずとでも言えばいいのか、しらっとした顔で、ひとを生きるか死ぬかみたいな状況に追い込んで、大変な裏切りをした男が、これは儲かると思ったら何食わぬ顔を決め込み、平気でひょこひょことダニか小判鮫のように、くっついてくるのですから。相当に毛の生えた心臓を持っているか、鈍感でなきゃ出来ることではありませんよね。私だって人並みの感情を持ってるんです。ですから、これまでずっと売れもせず放り出されて、独りぼっちの、フリーの立場を強いられてきた時に、陰から仕事を回して助けてくれた人を、個人マネージャーとしてお願いしたんです。
 そんなことよりも、この後(つまり偽装解散の後、やっと映画で脚光を浴びるようになるまで)、福田さんは自分の作品に、ほとんど毎回といっていいほど私を呼んでくれました。福田さんの演出助手をやっていたI君から、私の自宅に電話がかかってきて「どう? 仕事してる?」「ううん、何にも無い――」「分かった」こんなやり取りがあって、その後必ず公演の座組みに組み込んであり、そしてパンフレットの連名も、ちゃんと看板に連ねられるように配慮されていました。
 作・演出として売れっ子の福田さんではありましたが、普通の人なら、そこまで他人のことを考えてやるなんて煩わしいことなど、なかなかやってくれるものではありません。今までみんなといっても過言で無いくらい、ほとんどの人が、自分にはメリットの無い私のような人間とは、極力関わらないようにと、避けてきたのですから。それなのに福田さんは、知らないふりをしていればいいような、自分にとって何のメリットも無い私を助けてくださって。きっと本当の優しさと、頑固さと、ちょっとへそ曲がりで、反体制的な面を併せ持っている人なんだなあと今でも思っています。福田さんの作品集を読めば分かることですけど。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-20 13:41

負けるわけにゃいきまっせんばい! 55

 <プロダクションの偽装解散>

 形の上では、事務所が成り立たなくなったので解散するしかない。だから皆さん、それぞれ他所に活路を見つけて、やっていってくれということなのですが。実際には、事前に内々で話が出来上がっていて、儲かる俳優と、天知さんの取り巻きだけを残し、事務所の名称だけを変えて営業を続けていく。つまり事務所の規模として膨らみすぎたものを、少し風通しを良くするため、気分的に重荷になりそうな俳優を、整理する方便でして、私も、その棄てられる方の一人に入れられたということです。ようするにリストラですよ。このプロダクションの偽装解散は、これでもう二度目ですから、そのからくりはよく分かっていますが、情けないかな、小さいながらも営利を先行する事業とは、こんなものかなとも思います。日本のこの業界は、義理人情が渦巻き、また損得勘定の腹芸というか、単純計算の出来ない複雑怪奇な世界でもあるのです。
 舞台の仕事もたまに入ってくるようになり、それと時々出演するマスコミの仕事で、何とかやって行けるんではないかと、かすかな可能性がやっと見え始め、妻の三十六歳という高齢を押しての、初産の矢先にこれですからね。まさに途方投げ首とはこのことでして、善後策がとっさには思い浮かばないのです。参りました。
 四年前、最初のプロダクションが潰れた時、一緒に活路を開いて行こうよと、手を握り合ったマネージャーのA氏に、何とかならんかねと切に頼んでも、「売れないものは仕方ないじゃないの」と、にべもなくそっぽを向かれては、瀬戸物に爪をかけるようなもので、取り付く島も無い有様。この屈辱感といいますか、こっちが崖っぷちに立たされ死活問題で必死な時に、相手に優位に立たれ、なんだか自分がすごく卑屈になったような気がして。こういう時は惨めですね。でもまあ、世の中ってそんなものですかね。その時の彼は、昔のように、自分も潤うために持ち駒を必死になって売り込むという、サバイバル精神は不必要になっていたんです。私たちのような出来高払いだった俳優と違って、プロダクションの事務所に残り、十分な給料を貰っているわけだし、その時売れっ子のご機嫌を取って、スケジュールの調整とギャラの交渉さえしていればよかったのですから。これがあの時の仲間かと思うと、大変寂しい気もしますけど、現実とはこんなものなのであります。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-19 15:16



俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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