石橋雅史の万歩計

2008年 09月 16日 ( 1 )

負けるわけにゃいきまっせんばい! 96

 <私と武道>

 昭和四十年代(1965~)の後半からは、杉並区善福寺にあった、私の本家、全日本空手道剛柔会本部の専任師範を引き受け、日本空手道専門学校の教授なども兼任し、ここでも国内外のいろんな人たちと出会い、数々の体験をしていくわけですが、この私が育った剛柔会には、浅草千束に本部道場があった昭和二十年代(全日本空手道剛柔会は、昭和二十五年<1950>に、山口剛玄先生を会長として結成されました)、恩師山口剛玄先生から稽古をつけてもらったり、芋を洗うようにぶっつかりあいながら、先輩、同輩、後輩などの仲間と汗を流した日々。それから六十年近い歳月が流れ、今、頭の中には、書けば枚挙に暇がないほど、幾多の想い出が刻み込まれております。
 ともあれ、こうして二つの大きな会派に関わってきたのには、私なりの思いがあってのことです。
 ごく若いときには、私も皆さんと同じように自分の流派にこだわりました。自分がやっている流派ほど素晴らしいものはないと――。しかし、長年修練しながら、広い目で武術全体を見つめているうちに、ある時、自分の考え方の狭隘さにふと気がつくんですね。
 日本の武術の歴史を見てきますと、流派が流派を生んで、生きるか殺されるかということでやってきたわけです。しかしこの現代、グローバルな感覚を持って生きなければならない時代に、現代人としての視座や視点から考えれば、尚武の気風を養うにしろ、武道という次元で、社会と関わるにしろ、その昔、流派と流派が生きるか死ぬかで鎬を削ったような、そういう閉鎖的、保守的な考え方は、まったくナンセンスと言う他はありません。古代の化石です。
 勿論、基本的には自分を育んでくれた流派を大切にした上でのことですけど。
 また武術があまりにも細分化されて、どうしても、おらが武術こそはと思うのかもしれませんけど――。本来格闘術と言うものは、自分の身を守る為の防御術、攻撃術が発達してきたもので、あらゆる武闘の技を、一身に備えたもののはずです。それが細分化して武芸十八般じゃありませんが、独自の武術として発達し、その一つひとつがまた多くの流派を派生していったわけでして、ですからどの武術、またどの流派にも、みんなそれぞれに素晴らしいものがあります。
 それに私個人の立場から言えば、俳優という職業は、元来いろんな人物を演じなければなりません。ですから何事も特定のものに拘束されることなく、何時も多角的に広い感覚で物事を見つめているのです。今や武道は私自身の、格好よく言えば道を探し求める媒体なのです。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-16 13:24



俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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