石橋雅史の万歩計

2008年 09月 05日 ( 1 )

負けるわけにゃいきまっせんばい! 90

 <ことを始めるということ>

 空手を習いたいと言ってやってくる人の動機を、自分も含めて観察してみますと、皆さんそれぞれでしょうけど、いろいろありますね。
 虚弱な体質を丈夫にしたいとか、精神を鍛錬したいとか、少年部の親御さんは、子供の躾け(礼儀、作法ですね)をお願いしますとか。しかしそういう崇高と言いますか、高邁な考え方の人はまず希でして、ほとんどの人は、格闘技が強くなりたくて来るようです。
 だけど私は、切っ掛けはなんだっていいと思います。その前向きの意欲に意義があると思っていますから。何も空手に限らず、すべてに言えることですけど。
 あとはそれを追求していくプロセスの結果として、自分の中に何かが生まれる。それは最初に考えていたこととは、全く違った答えかもしれない。多分そうでしょうね。はっきりした答えなど、最初から分かるはずがないんです。何たって頭で考えていたこととは及びもつかない、未知の世界が立ちはだかってくるんですから。ま、現実の社会もみんな同じですが。人間この中で、挫折とトライを繰り返していくうちに、精神的な強さも、そして、何か本物が身についていくんでしょう。
 これも最初の土台、つまり基本がしっかりしていればのことで、物事に対する考え方と言いますか、ちょっと道を間違えますと、とんでもないことになってしまい、悪い癖がついたのを正道に戻すには、大変な時間と努力を要します。
 町道場などにも、喧嘩ばかりしていたような悪ガキがよく入ってきます。自由組手などをやらせると、なるほど確かに、同じ時期に入門した者や、少しぐらい早くから始めたものに比べて、はるかに強い。いや強く見えます。その喧嘩慣れしているのと気の強さで。しかし、自分の腕前に、いやいや腕前と言っても大したことはないのですが、向かうところ敵なしみたいな気分になって、すっかり天狗になっちゃうんですね。
 だからどうしても、地道に努力して積み重ねていかなければならない、基本練習をおろそかにしてしまう。結果は目に見えています。あるところまでは行けても、それ以上は絶対に伸びません。そりゃそうですよね、しっかりした土台が無いから、素晴らしい変化の広がりようがないのです。こういう人は、まず挫折したとたんに、再度、努力しようとせず止めてしまうのが常のようです。まことにもったいない入会金と月謝でありました……。一方、不器用ではあるけど、努力を怠らない人は、あわてずに我慢と忍耐を重ね、こつこつとひとつずつ確実に、基本をものにしていきます。いかにもまどろっこしく見えますが、これが一番正しい近道ですね。まさに兎と亀であります。
 この立ち方、受け方、突き方、蹴り方、打ち方、当て方、移動転身法、呼吸法などの、単純基本の反復運動こそが、次の複合基本への土台となり、反射神経の発達にも繋がっていくのであって、この正しい基本を修得することにより、技は無限の変化へと開花していくのです。
 書道でもそうでしょう。楷書も書けない人が、いきなり行書や草書を書いたらどうなります? 絵だってそうですよね。デッサンも出来ない、写実もちゃんと描けない人が、いきなりシュールレアリスムとかアブストラクトですか?
 ですから牛のように、傍から見れば鈍重なようでも、こつこつと努力して、正しい積み重ねをして行く人ほど大成するようですね。天才も九分の努力って言いますから。空手だけとは限りませんけど、それは並大抵の努力では出来ません。並みの努力だったら誰だってやりますよね。何の世界でも同じです。その人に向き不向きと言いますか、センスの問題もありますけど(この人は、これには不向きだったけど、こっちの方では素晴らしい才能を発揮したとか)。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-05 14:59



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