石橋雅史の万歩計

2008年 06月 21日 ( 1 )

負けるわけにゃいきまっせんばい! 38

 しかしその症状の現れる頻度は激しくなるばかり。家で夜中に目が覚めても、言い知れない恐怖感に襲われてパニック状態になり、電車やエレベーターに乗れば、ドアが閉まったとたんに、心悸亢進して、空気が無くなったように苦しくなる。人ごみの中では、山のように大きな黒い波が、覆いかぶさってくるような幻覚に襲われ、恐怖で動けなくなり蹲る。こんな状態ではもう仕事が出来ません。
 ついに堪らず、家の近くにある精神病院に泣きつきました。なんせ清瀬は病院の町ですから、お誂え向きにちゃんとそんな病院もあるんです。受付に案内を乞いますと、それは神経科ですとのこと。そいうことにはまったく疎いんで、今まで知りませんでしたが、神経症と精神病はまったく違うんだそうでして、つまるところ科も分かれてる、とこういう訳。同じ病院の中ですからどっちでもいいようなものですが。周囲を見回してみますと、完全に狂ったり惚けたりしている人の方が、何も分からなく不安もなさそうで、何だか天下泰平楽みたいですよ。それにしても、あの束ねた鍵をジャラジャラと腰にぶら下げて、看護婦さんが通り抜けたけど、あの奥は一体何なんだ? なんて考えたりして。
 余計なことを考えてる場合じゃない、まずは自分のことです。早速、診察室に呼ばれまして、院長先生なる方にことの顛末をお話しますと、先生いわく「はっきり言うと」。いや、はっきり言って脅かしてくださらなくても結構なんですが…… 。この症状は「不安神経症」「閉所恐怖症」なんだそうです。急に何とも言われぬ不安に襲われ、動悸や眩暈がして、このまま死んでしまうのではないか、気が狂うのではないかとの、不安と恐怖感に襲われ、体が冷たくなり、息苦しく、吐き気がして冷や汗をかき、脳貧血のような状態におちいり、心電図や内科的検査では、なんの所見も認められないという、典型的な症状なんだそうです。いわゆるノイローゼです。
 この心因性の病は、突然かかるのではなくて、長い間かかって現在まで生きてきた環境が、その要因をその人の中に内在させ、あるきっかけ、例えば家庭の不和とか職場のいざこざ、肉親の死とか失恋、仕事の失敗、生活の不安などの、精神的な悩みが引き金となって、症状を現すんだそうでして、これを治すには、精神療法が主なんだけど、発症するまでに重ねた年数はかかるんだそうです。少なくてもですよ。これはショックです。
 考えてみれば、昭和二十一年(1946)に引き揚げてきて以来、ろくな生活ではなかった。まして、同二十六年(1951)、高校三年生になったばかりの時に父親に死なれ、同二十七年(1952)、一人で東京に出てきてからは、四六時中、貧困と不安の中で生きてきたんです。
 これは参ったなあ――、 十年以上かかる計算だが、仕事をしなきゃ生きて行けない。誰も頼れる人はいない一人ぼっちなんですから。しかしこんな状態では、仕事をやりたくても出来やしない。だからといって、たとえわずかな仕事でも、何とかして働かなければ、一文無しのからっけつで生きる術もない貧乏暮らし、大尽じゃないんです。
 一時は絶望的になって落ち込みましたが、今まで長い年月、男一匹負けてたまるかで生きてきたんです。精神安定剤をもらって開き直りました。人間どっちにしたって何時かは死ぬんだし、何処でどんな死に方をするかも分からないのに、先の先まで、不安材料ばかりを抱え込んで悩んでいたのではお笑い種だ。今までそんなこと考えもしなかったし、その時その時で、ちゃんと事態に対処して生きてきたんだ、また出来たじゃないかと。でも自分の意思とは裏腹に、どうしても神経の方が、勝手に狂ってしまうんです。本当に泣けてきましたよ。
 動けない状態がどれくらい続いたでしょうか。薬で自分を騙し騙し、周囲の人にも気づかれないように、細々と仕事をする日々が。
 そうなんです。食べていくのもやっと、その日その日を生きていくことだけにうじうじして、これから先、俳優としてどう生きていったらいいのか。目的というか、しっかりした方向付けにもまだめどがつかず、そういうことも情緒不安定の材料として、心の中に、ずっとしこりのように引っかかっていたんです。
 文化座を退団して、わずか四ヶ月も経たないうちに、それこそ身も心もずたずたになってしまい、まったく俺って奴は弱い奴だなあと、つくづく思いました。
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by masashi-ishibashi | 2008-06-21 18:03



俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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