石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 114

 <ジェームス三木さんより>

 拝復。お便りを読んでいるうちに胸が熱くなり、また浮き浮きしてしまいました。昭和二十八年だったか九年だったか、あれは青春の挫折と苦悩に喘ぎながら、それでも一筋の光明を求めて、おたがいに焦っていた時代ですね。なつかしく思い出します。
 前から石橋雅史という俳優は気になっていたのですが、九割は間違いないと思いながら、あるいは別人かとも思い、声をかけることもなく過ぎていたわけです。浜口パーティーで話しかけてほんとによかったというのが実感です。ニュークリッパーがキーワードでした。貴兄の驚いた顔が印象的でした。
 私は二十八年四月に俳優座養成所に入り、才能のないことを思い知らされつつ、アルバイトに追われて欠席が多くなり、前途を悲観していました。いずれにしてもニュークリッパーで働いたのは夏でした。昭和三十年にはテイチクのコンクールに合格して歌手になったのですから、十八か十九才のときです。
 ニュークリッパーのボーイはみんなアルバイトで、長身でハンサムな貴兄は一段と目立っていました。もうひとり早稲田文学部の学生で最首というオッサンみたいな人がいて、これも空手をやっていたようです。また歌のうまいちょっと禿げかけた水時というアルバイトもいて、彼は後に作曲家になりました。水時富士夫という名前だったと思いますが、もう亡くなりました。
 貴兄についての断片的な記憶をたどりますと、私が間借りしていた戸塚の婦人科医院の二階に遊びに来て泊まったとき、相部屋の木浦佑三(後に日活の俳優)や、芸大浪人の村田(結局バンドマン)などと、一緒に飲んだこと。眠っている貴兄の顔を、家主のおかみさんがわざわざ見に来て、いい男だねえと溜め息を洩らしたこと、電車に乗っていると、まわりの女性たちがみんな、貴兄の美男子ぶりを盗み見てうっとりしていたこと。白ワイシャツに黒ズボンで、ハンチングベレーをいつも恰好よくかぶっていたこと。貴兄が映画に出演したというので見に行ったら、楽団の一員でサキソホンを吹き、セリフも何もないエキストラだったこと。詳しくは覚えていませんが、女に騙されたのでオトシマエに二万円取るんだといきまいて、書類を作っていたことなどです。
 私は現在七十五キロありますが、当時は痩せこけていて、五十八キロぐらいだったと思います。顔は全く変わったでしょう。水時氏に教わって、ときどき歌をうたっていたかも知れません。貴兄は女にもてまくっていたし、友人も多かったから、私のことは覚えていなくても不思議はありません。
 とにかく俳優として名を成されて、御同慶のいたりです。空手ものから欽ちゃんの何やらまで広い芸域ですから、もう一生食えるでしょう。私は来年の大河ドラマ〔独眼竜政宗〕に取り組んでいます。きっと貴兄にも出番があると思います。推薦しますので是非出て下さい。三十三年ぶりの再会が、仕事で結実するのも粋なものではありませんか。
 心から御健闘をお祈りします。起きている間は殆ど脚本を書いている状態なので、なかなか飲む機会がないのですが、いずれは一杯やれる日を楽しみにしています、   敬白。

昭和六十一年九月二十一日
                                         ジェームス 三木


石橋 雅史 様


 <終わりに>


〝袖ふれ合うも他生の縁〟
 冒頭に申し上げましたように、人間の一生のうちで巡り会える人といったら、ほんとうにわずかなものです。
 そのわずかな限られた人とのコミュニケーションの中に、無限の可能性を発掘することができるわけです。
〝偶然に知り合うのもその人の運命の一部である〟とも言いますが、善き人に巡り会うのも、悪しき人に巡り会うのも運命の一部であるとすれば、善き人と出会えて、今ここに自分があることを素直に感謝します。

    木枯らしに枯れ葉一枚しがみつき
                          雅史
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by masashi-ishibashi | 2008-10-11 18:20
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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