石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 113

 <ジェームス三木さんへ>

 拝啓。先日はお疲れ様でした。大変盛り上がった素敵なパーティーでしたね。
 浜口さんを囲む会ではありましたが、ただのお疲れパーティーではなく、ひとつが終わり、そして、そのポリシーを確認しあい、また新しい一歩を踏み出すのだという雰囲気の、人間が生きて行く道程の、ひとつの節目というか――。
 そして何よりも嬉しくて、夜も眠れないくらい僕を興奮させたのは、三十三年ぶりの思いがけない貴兄との再会です。しかもあの場で――。いつになく久し振りに心が騒ぎました。本当に懐かしかった。
 家族対抗歌合戦には、僕も3回ぐらい出演しており、貴兄が出演した際も観ています。その後貴兄が審査員になってからは、先日収録した最後の特番が久し振りの出演だったわけです。
 あの夜はまっすぐに帰りましたか? 本当はお開きの後、どこかの飲み屋で、夢と希望をふくらませてそれを支えに生きていた、お互いに十八才か十九才そこそこだった、ひとつの青春時代の想い出を肴に、一杯やりたいと思っていたのだけど、こういう会の後だから、きっとあとの付き合いがあるのではないかと考えて、それを言い出すのをやめました。これからは時間の都合が合えば、いつでも飲めるからと思い、まっすぐ家に帰り、女房相手に貴兄との奇縁を語りながら飲み直しました。すっかり色あせていた当時の記憶が走馬灯のように、頭の中を駆け回り始めて――。
 いろんな仲間との出会い、戦後七、八年しか経っていない、雑然とした新橋烏森界隈、東京あちこちの盛り場の情景、あの頃のニュークリッパーのアルバイト仲間、ホステス、お客、人間群像と言うか、人間模様と言うか、だんだん鮮明な部分が脳裡に浮かび上がってきます。
 出会いがあって、別れがあって、そして再会。色々なところをくぐり抜けて来ての、こんな形での巡り会いだっただけに、まるでドラマみたいな気がして、興奮を抑えることが出来ません。
 ここまで来るのに何度も挫折しかけたことがありますが、初一念を貫いていて本当によかったと思います。でなければ、こんな巡り会いは終生なかったかも知れない。三十三年経った今、その空白を越えて、戸塚町の貴兄の部屋の記憶を辿っています。確かに泊まりに行きました。あの頃どんな話をしていたのかなあ――。
 二人とも演劇を志していたのだから、芝居の話とか雑談にふけっていたのだろうけど、不思議と鮮明に浮かんでくるのが、もりそばと、十円玉が二、三個なんだよね、なんでだろう? 夏で腹がへって、電車賃もないときだったのかなあ?
 あの部屋には貴兄と一緒に誰か住んでいなかったっけ?
 とにかく、貴兄が僕と寝起きしたこと、石橋雅美という本名から、ベレーハンチングに黒のズボンという、当時のコスチュームまではっきり憶えていたのに、僕の方がおぼろげだった失礼は勿論のこと、記憶喪失の男がその時間をまさぐっている様な、自分に対するいらだたしさがありました。
 家に帰ってすぐに当時の写真を引っ張り出してみましたが、貴兄の記憶は確かでした。貴兄の若いときの写真を是非見せて下さい。ずい分ふとったのじゃないかな?
 俳優から歌手、そして作家で大成した貴兄の経緯と存在は、興味を持っていた作家の一人ですから、以前から知っていましたが、若いとき一緒にアルバイトしながら頑張っていた友人だったとは、全く気がつかずに何年も過ごしていたわけです。人生の綾って面白いですね。
 しかし友人が大きくなると言うのは嬉しいことです。
 僕はあれから荷かつぎをやったり、空手の師範代理をしながら生活費をはじき出し、昭和三十二年に文化座に入り、昭和三十九年に退団、昭和四十年に文学座の戌井市郎さんにお願いして、一年間文学座に居候、その後、石橋雅史と名前を改めて、テレビ、商業演劇などに出演していましたが、昭和四十八年の後半、東映に引っ張られて、映画を二十本ばかり、その後またテレビに、最近はまた舞台も始めました。十一月は一ヶ月ばかり、香港映画の撮影に行くことになりそうです。帰ってきて六十二年の一月は北海道札幌のニュー本多劇場、二月一杯北海道の舞台で三月一日に帰ってきます。演劇学科の同級生からは、宍戸錠、ケーシー高峰、嵐徳三郎、砂塚秀夫などが残りましたが、一緒に働きながら同じ道を歩いてきた友人というのは、ひとしお感慨深いものがあります。
 貴兄のほうが、今やずっと大きくなって上を歩いているけど、同じく初志を貫き、プロの道を歩ける身になり、五十路を過ぎてひょんなことから、ひょんな縁でまた巡り会えたのですから、あと何年生きるか、今までの空白期間より少ないかも知れないけど、これから先、公私ともども、お互いが疲れない程度に、ずっと付き合って行きませんか。
 あの烏森の辺りも昔の面影は全くありませんが、あの辺りの小さな飲み屋で、ちょっと一杯やってみたい様な気もします。
 すごく懐かしくって、すぐにペンを取ろうと思っていたのですけど、あのあくる日から、土曜ワイド劇場の撮影に入ってしまって――。今日は撮影がありませんので、今、書いているところです。あと都内ロケがちょっとあって、二十二日あたりから少しばかり、奥秩父の山の中へロケに行ってきます。
 気が向いたらたまには連絡下さい。体に気をつけて益々の活躍を祈っています。 敬具。

昭和六十一年九月
                                          石橋 雅史(雅美)


山下 清泉 様(ジェームス三木さん)
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by masashi-ishibashi | 2008-10-10 14:33
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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