石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 105

 <アクションも人間のドラマ>

 いわゆるアクション映画で言う、技斗あるいは殺陣なるものは、当然のことながら、本当に殴ったり、斬ったり、殺したりするのではないのですから、その場面で、いかに〝それらしく〟見えるかが重要なポイントになってくるわけです。そこでよく、顔で斬って、顔で斬られろとか、殴られろとか言うのですが、つまり、今言ったように、本当に斬ったり殴ったりしているのではないのですから、その瞬間の顔の表情、身体の動きが、観ている人に、真実味、臨場感を持たせるのです。立ち回りは、約束事として構成された殺陣を、相手役との信頼関係の上に立って、如何にして、どこまでぎりぎりの線に引っ張り上げ、クオリティーの高い演技が出来るかということです。それには相手役との絶対的な信頼関係、絶妙なアクションとリアクションのタイミングと言った、高度なアクション技術が要求されます。
 そしてアクションは闘争のドラマ、そう人間のドラマなんです。お芝居や映画の中で、ドラマからアクションだけが遊離し独立していたのでは、それが如何に華麗であったり、迫力があったとしても、それは間違った創り方であり失敗作であって、観客の皆さんはちっとも感銘しないのですよ。
 ひとつの映画の中で、いろんな形式のアクションをお見せして、楽しんでいただくことも当然あります。しかしその場面のテーマを全く無視して、〝ケレン〟だけで何もかも構成しますと、それらのものは一種の刺激剤ですから、すぐに麻痺して、もっともっと強い刺激剤を求めるようになります。麻薬のようなものでして、人間のドラマのように奥の深いものではないのです。最後は苦し紛れのアイディア倒れで最早刺激も無くなり、いわんや全くリアリティーのないところに、感銘などひとかけらも無く、観客の皆さんは、振り向きもしなくなるといった結果になります。
 そうです、アクションの基本はドラマの延長線上にあるのです。ただ観客の皆さんに、より堪能し、満足度の指数を上げていただく為に、いろんな〝ケレン〟を取り入れたり、特撮をやったり、もろもろの物量を投入したりして、劇的効果を増幅させるのです。やれSFXだのCGだのと、各パートのエキスパートたちが、その技術の粋を結集するわけですが、あくまでも主はその〝人間〟です。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-30 12:15
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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