石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 93

 <空手道部追憶>

 日芸の空手道部も六十年を超えました。創部されたのが昭和二十一年(1946)だと言うことですから、戦後の時代を共に歩んできたわけで、この悠久の時の流れに、紛れもなく半世紀以上の足跡を刻んだのです。
 私どもの部は、第二次世界大戦、日本にとっては太平洋戦争が終結した翌年、戦後日本の黎明期とも言える時期を同じくして、江古田の地で、日本大学芸術学部の学び舎に産声をあげました。
 私が入部したのは昭和二十七年(1952)ですが、その頃はまだ街へ出れば、新宿だの、池袋、上野など駅周辺の盛り場には、トタン屋根のうなぎの寝床のような飲み屋だとか、古着屋、食べ物屋などがひしめき合う、バラックのマーケットが活気を見せて、敗戦後の日本の、逞しい、新しい人間の息吹みたいなものを感じた時代で、学校も木造の兵舎みたいなおんぼろ校舎。現在は立派な鉄筋コンクリート建てになり、道場なども冷暖房つきの立派なものをいただいておりますが、当時は学内も土があり、樹があり、草があり、皆おおらかでいかにも人間っぽくって、芸術学部らしい趣がありました。(いや、昨今の学校や学生気質を否定しているわけではありません)その木造教室の机や椅子を片隅に片付けて稽古をしたり、さもなくば校庭の土の上、または大講堂の舞台を借りての稽古、交換稽古、初めての合宿の思い出、数多くの仲間との出会い、別れ、再会等々。青春群像というか、人間模様というか、いずれにしても青春の挫折と苦悩の中で、それを振り払うかのように、空手という武道に打ち込んで無限の可能性を求めていた時代。ともすれば色あせてセピア色になりかけていた当時の記憶が、今こうして原稿を書いていると、脳裡に浮かんでは消え浮かんでは消えして走馬灯のように駆け巡り、写真のネガティブフイルムが、だんだん鮮明なポジティブとなるように像を結び、まことに感慨深いものがあります。本当にこの六十年、並大抵のことではありませんでした。十年ひと昔と言う言葉は大昔のことでして、昨今では科学の進歩にしても、何にしても、国の内外を問わず世界全体が、分刻みで目まぐるしく発展し変化していきます。その中で、苦しみ、悩み、試行錯誤しながらここまでやってきました。明日からもまた未来に向かい、勇気と希望と確乎不抜の信念とビジョンを持ち、大地をしっかり踏みしめ、心身の錬磨により、自信と人間愛を求めて歩み続けて行きたいと思います。しかし振り返ってみれば、〈光陰矢の如し〉目まぐるしく変化していく時代の流れ、あっという間の人生です。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-10 13:54
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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