石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 92

 なんせ五十年以上も経って、もう時効ですから白状しますけど、何かの糸に操られた夢遊病者のように引き寄せられて、台の上に並べてある蒸かしたてのじゃが芋を、みんなでそーっと忍び寄り、下から手を伸ばし、ガメて食べちゃった。のどはからからに渇いてるし、胸にはつっかえるしで目を白黒させてひと騒ぎ。あとでコロッケ屋のご主人びっくりしたでしょうね。「あれっ、俺んちのじゃが芋どこへ消えっちまったんだ!」って。そうです、私たちの胃袋の中に消えっちまったんです。ご亭主ごめんなさい。貧すれば鈍すである。
 そこへ現れた救いの神が、肝っ玉かあさんこと、やはり名古屋が地元のもう一人の友人のおふくろさんであります。この状況をいち早くキャッチし、早速、炊き出しをして皆に振舞ってくださった次第。まあ、その時のみんなの食欲の凄まじさ、これほど人間の顔つきは変わるものでしょうか。幽鬼のような面相から一変して恵比須顔。浅ましや浅ましや。食い物の恨みは恐ろしいですぞ。ま、人心地ついたみんなの顔を見て、正直なところほっとしたものです。
 この合宿には後日譚があるのであります。昭和二十九年といえば、朝鮮戦争が終わった翌年で、世はまさに鉄ヘン景気、くず鉄商がものすごく儲かった時代。たまたまその友人の実家もくず鉄商。彼の兄貴が、どうだアルバイトでもしていかないかと一声かけたとたん、わっとばかりに渡りに舟。何を隠そうみんなオケラだったのであります。今の若い諸氏とは大違い。何のことはない、みんなで力を合わせて、生きる知恵を磨く為の合宿だったのであります。これもひとつの青春ではありますけど、合宿に行く為にアルバイトをして、お金を貯めるという話は聞いたことがありますけが、合宿には行ったがお金に窮し、みんなで身売りをして窮地を脱したなど、お粗末な話であります。
 昨今は随分と違いますよ。今昔合宿模様とでも言いますか、何と言えばいいのか、とにかくその変遷、様変わりには驚嘆すべきものがあって、今や時によっては、中国などの外国に合宿地を求めるといった、まるでプロスポーツ選手並みですからね。もっとも修学旅行だって海外に行く時代ですから。ま、二度とない青春の思い出を創ることでもありますし、これまた大変結構なことであり、昨今の若者たちはリッチになったものだなあ、羨ましい限りであります。
 合宿の第一義は、同じ釜の飯を食い、起居を共にし、凝縮された強化練習の中で、同志の固い連帯感と、信頼感を培うことにあるのですから、それさえ見失わなければ、その時代その時代の個性を打ち出していくのも、面白いと言うべきでしょう。私たちのその時の合宿は、予定日数を大幅にオーバーして、まずは無事に帰京したのですが、学校に帰ってからがまた大変。当時、部長だった今は亡きN教授に、さんざん絞られたこと絞られたこと。これは責任者だった私だけのことで、部員諸氏は、誰ひとりあずかり知らぬことであります。

  懐かしい思い出にざれ歌を二句。

   ひもじさと稽古の辛さを比ぶれば
   恥ずかしながらひもじさ勝りぬ

   わが魂はいずこの空を飛びおらむ
   湯気たつ飯の蜃気楼かな

 若い頃、一緒になって苦楽を共にした仲間というのは、幾つになってもいいものですね。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-07 14:29
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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