石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 91

 <日芸空手道部初めての合宿――珍道中>

 それはそれとして、日芸の空手部に入部してからは、皆で難行苦行しながら、同じ釜の飯を食うという奴で、先輩、同輩、後輩の結びつきが強い。切磋琢磨しながら喜びも悲しみもあんたと一緒。運命共同体。交換稽古(他道場へ行って技の交換をするの意味で、字に書けば格好いいですがこの頃はまるで喧嘩)でも、試合でも、合宿でも一致団結しなければ空中分解ですから、自然と集団の中での、規律と自由ってのを自覚するようになります。これは社会に出てからまことに役立ちますね。
 昭和二十九年(1954)三月、春休み。私が主将の時に、我が日芸空手部としては初めての合宿を行ったのであります。名古屋です。地元の友人が通っていた柔道場が借りられるのと、愛知スポーツ会館で寝食が出来るとの打ち合わせでありました。
 当時、戦後九年のこととて、まだ外食券食堂なるものがあり(外食券食堂―外食券所有者に食事を供するよう指定された食堂。外食券―主食の統制時、外食者のために発行した食券)、米穀通帳というものがものすごく大切な役割を果たした時代。
 それでも、米さえ持っていけば、宿舎で給食もしてくれると言うので、総勢が米をぶら下げて、意気揚々と名古屋へ乗り込んだものであります。ところが、何もかもが初めての経験だったものですから、何処でどう間違ったものだか、詰めが甘かったんですなあ。スポーツ会館では給食など一切やりません、とのたまうのであります。「ちょっと待っておくんなせぇお若けぇの、じゃない、そこなおっさん、それじゃあ約束が違うじゃあありやせんか」とやり合っては見たものの、にべもなく断られ、宿舎の蚕棚のような寝床に這いつくばったきりで、腹はクウ(食う)クウ(食う)と鳴くばかり。部員諸氏からは、先輩何とかしてくださいよと、突き上げを食うし、泣きたいのはこっちの方でありますよ。
 〈敗軍の将、黙して語らず〉じゃない、〈兵を語らず〉ではありますが、本当に、誰だよ俺の参謀役はと言いたくもなります。あれで二日ばかり、飯らしいものを食うことが出来なかったんじゃないかな――。
 道場に行って稽古を始めてみても、全員、力の入ろう筈がないのであります。悪いことに隣がコロッケ屋さんときて、その蒸かしたての何ともいえない、じゃが芋の匂いが道場に流れ込み、飢えた欠食児童の鼻腔内臭神経を、いやがうえにも刺激するのでありますから、たまったものじゃありません。
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by masashi-ishibashi | 2008-09-06 15:57
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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