石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 86

   空手と私


 〈一芸は身を助ける〉。若いとき、ある時期に、たまたま何かにのめり込み熱中して、誰にでもはあまり真似の出来ないこと、人並み以上のものを身につけたことが、ある時、思いもかけず、己の生き方を助けてくれることがあるものだと、これほど実感したことはありません。


 <中学、高校時代は柔道少年>

 中学、高校と柔道部にいたことは、前の方の項でも書きましたが、私の少年期、昭和二十年(1945)八月十五日に太平洋戦争が終結して、日本が敗戦を迎えるまで、学校では柔道、剣道が正課のようになっているところもあり、また父親が職業軍人だったこともあってか、武術と言うものに少なからず関心を持っていました。
 戦後。戦時中には敵性スポーツだと言うことで、片隅に押しやられていた野球部などが復活して、大変人気があり、柔道部なんて言おうものならとんでもない。なんせGHQ(連合国の総司令部)の命令で、1945(昭和20年)十一月には文部省を通じて、兵隊ごっこや柔剣道は廃止されていたのですから。それでも好きな連中が結構おりまして、同好会のような形で活動していたんです。GHQから「学校柔道復活について」という覚書が手交されたのが1950(昭和二十五年)九月、そして十月に学校体育教材として柔道が認められたのです。それまでただただ仲間が集まり、組んずほぐれつ汗を流し合って、技を磨き自己満足していたんですよ。
 本当は野球やテニスなどにも興味があったのですが、柔道部を選んだのには、実に簡単明瞭かつ決定的な理由がありましてね。それは、裸一貫で外地から引き揚げて来て、ただお金が無かったというだけのことなんです。前にも言いましたように、この頃、大抵の家庭には柔道着の一着ぐらいはありましたから、その何処かの片隅に、埃をかぶってほったらかしてあるやつを貰い受けてくれば、一銭もかからないし、柔道着も日の目を見て喜ぼうと言うものですよ。
 柔道で強くなり、こんな不条理な世間を投げ飛ばしてしまえ! 過去の良き時代の夢も、現在の貧苦の境遇も、この汗と共に投げ飛ばして強く生きるんだ! なあんて言えば格好いいですけど、本当のことをぶちまければ、ただ単に、これが一番お金がかからずに出来たというだけのこと。例えば野球でもやるとすれば、やれユニホームだ、帽子だ、グローブだ、スパイクシューズにバットにボールだと、大変なお金がかかるわけで、この頃の私の境遇では、逆立ちしたって鼻血もでないって時ですからね。
 それはそれとして、この汗にまみれて、若いエネルギーを発散している我らが道場に、ひょっこりと、拓殖大学で空手をやっていると言う先輩が顔を出し、空手の型なるものを見せてくれたことがあります。その人の名前はちょっと忘れてしまいましたが、とにかく、突き、打ち、蹴り、受け、転身、と仮想敵を想定して組み立てられた、空手の動きを演武するわけです。今にして思えば、その先輩も空手を始めてまだ間もない時だったらしく、いかにもお粗末なものではありましたが、その時は初めて見る空手の型演武に「へえッ、これはなかなか……」と驚嘆したものです。沖縄を発祥地とする、空手という武術があることは知っていましたが、見るのは初めてだし根が単純ですから。もっともそのあと、柔道のお相手をして背負い投げを掛けたら、簡単に飛んでいってしまったので、ちょっとがっかりしましたけど。
 しかし、ほんのちょっと一度だけ見せてもらったことですから、その後すっかり失念していたのであります。
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by masashi-ishibashi | 2008-08-30 16:26
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