負けるわけにゃいきまっせんばい! 54
それにこの企画は、作者が三島由紀夫さん、石原慎太郎さんや榎本滋民さんだったり、演出は文学座出身の(この時は劇団浪漫劇場を結成しておられましたが)松浦竹夫さん、出演者も新劇畑の人が随分多かったりして、私の性に合ってか、取り立てて別世界に入った感じはせず、新劇時代の芝居創りというか、劇団が標榜するひとつの路線に向かって、仲間内で模索しながら演劇活動をやっていた頃と、同じような気持ちで参加していたみたいな気がします。ここに商業演劇への心構え、認識の無さがあったわけでして、ただしっかりした芝居(演技)をやりさえすればいい(勿論、それは一番大切なことですけど)、そうすれば必然的に皆が認めてくれて、芝居で生きて行ける、それがプロなんだと思い込んでいたところに、それだけではないもっと複雑な、商業ペースに対する、プロとしての認識が少しばかり欠如していたんです。ある意味では純粋だったんですなあ。
まず何といっても、お客様を呼べる俳優でなければ駄目なんですよ。そんな魅力のある俳優ですか。 そして、この世界は、1コネ、2柄、3芝居、そのどれが欠けてもうまくいかない、この三つがひとつに揃った時に、花が開き結実するのだと、おっしゃった大物俳優さんがいましたが、大筋のところでは、なかなか言い得て妙といったところでしょうか。 丸山明宏(三輪明宏)さんと天知茂さんの、妖しく華やかな舞台を横目で見ながら。 <福田善之さんとの出会い> しかし、この東横劇場は、無名の頃の私をフォローしてくださった、福田善之さんとの出会いをもたらしてくれました。昭和四十五年(1970)、東横劇場十月公演、作・演出福田善之、主演・清川虹子「女沢正・あほんだれ一代」という喜劇です。九州一円を大衆女剣劇(剣戟)で鳴らした(沢竜二氏のお母さん)、旅役者をモデルにしたものですが、このお芝居で、座員のひとり、久留米という役を演らせていただいたのが縁で、この頃なんの取り柄もなかった私を、助けてくださったのが福田さんです。以後ずっと、映画界入りするまで舞台でのお付き合いが始まるのですが、この昭和四十五年は、いくつかの出来事を、私の心の中に刻み込んだ年でもあります。 <五月五日> 長男 徹郎が誕生。 <九月> 福田善之さんとの出会い。 <十一月二十五日> 三島由紀夫さんが、市ヶ谷の自衛隊総監室で割腹自殺。 〇そして、天知茂プロダクションの偽装解散。
by masashi-ishibashi
| 2008-07-18 12:48
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