石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 43

 そもそも新劇なるものが生まれたのは、明治四十年(1907)代です。正確に言えば明治四十二年(1909)でしょうか。ヨーロッパの近代演劇運動に刺激され、いわゆる旧劇といわれる歌舞伎や、それと流派を異にした新派など、旧来の演劇を改革して近代的な演劇を建設しようと、小山内薫、市川左団次が創立した新劇団自由劇場に始まり、歌舞伎、新派に対して、現代人の生活に即した演劇だということで、当初は、イプセン、メーテルリンク、チェーホフ、ゴーリキーなどの作品を上演し、外国演劇の紹介が行われていたようです。この時期、島村抱月と松井須磨子の芸術座をはじめ、多くの劇団が次々と結成されては消えながら、ヨーロッパ演劇を摂取していました。大正十三年(1924)、新劇団築地小劇場が創立され、また土方与志、小山内薫を主宰として同名の劇場が建設されて、専ら翻訳劇、創作劇が紹介されたわけですが、現代人の生活に即した演劇をという新劇運動も、文学から自立したジャンルとして確立することが出来ず、多くを翻訳劇に頼ることになったようです。大正九年(1920)頃から興ったプロレタリア演劇運動が提起した「政治と芸術」の問題は、築地小劇場にも影響を与えて、小山内薫の死後昭和四年(1929)に分裂、昭和五年(1930)には解散ということになるのですが、これらの流れが現在の新劇のルーツなんです。
 プロレタリア演劇は、弾圧による危機打開のため大同団結して、昭和九年(1934)新協劇団を結成、新築地劇団と並んで、リアリズムの探求によるすぐれた舞台を生みました、しかし両劇団は昭和十五年(1940)に強制解散。
 一方、芸術派としては築地座、その後を受け継いだ文学座が、文学的戯曲を上演して弾圧を免れる。
 戦後、文学座、俳優座、民芸のいわゆる三大劇団を中心に劇団制の確立を目指し、芸術上、経済上の問題を模索。
 1950年代、つまり昭和二十五年頃からは「新劇ブーム」と呼ばれる隆盛期を迎えるのです。私などもこの戦後派の一人ですが、百科事典などを参考にして、新劇史の経緯を簡単に言えばこんなことです。少しばかり専門的で、ちょっと退屈なことを書きましたが、この辺りの流れを知っておかないと、今、自分が何処のどんなところに立っているのか、新劇運動が何なのか、そこのところが分からなくなるので、再確認のために受け売りを書いたまでです。
 戦後、演劇による文化運動は、職場演劇、地方演劇活動なども大変なものでした。しかし文化はいつも、社会的背景の流れによって、常に普遍性を中心に持ちながらも変貌していきます。
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by masashi-ishibashi | 2008-07-06 12:42
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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