石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 33

   退団が意味したもの


 <八方塞がりお先真っ暗>

 昭和三十九年(1964)九月、東京オリンピックが開催された年。劇団に辞表を提出。一応は円満に退団させていただきまして。
 とりあえずは少し頭の中を整理しなければと思いましたが、なにしろ何の当てもないのに自分の気持ちに嘘がつけなくて、今、辞めなければこのままでは駄目になる。どっちにしても駄目でもともと、辞めなければ新しいものは開けてこないのだ、という焦りもあって闇雲に飛び出したものですから、わずかな給料も、マスコミのマネージメントをしてくれる人も急になくなり。また俳優として生きていく方向とか場も、どう思考しても井の中の蛙で像を結んできません。経済的にも精神的にも、大変不安定な状態が続き、当時患っていた胃潰瘍が悪化して、タール状の黒い血便が出るようになっていました。
 ともあれ思案投げ首だけでは何事も成就いたしません。機に発して感に敏なること。当たって砕けよの敢闘精神。霞を食って生きていくわけにはいかないんですから。ところが文化座時代からの繋がりで、ひょっこり、日本テレビ系で放映される「空手風雲児」という、新番組のレギュラーが入ってきたんです。しかしありがたいと思ったのもつかの間、視聴率が上がらないという理由で、ツークール(二十六本)撮るはずだった作品が、あっという間にワンクール(十三本)で打ち切りになってしまって。なかなか美味しい話はありませんね。だけど、やはり印象の薄い作品だったのかな…… 三浦半島の方へよく撮影に行ったり、監督は島津昇一さん、一緒に葉山葉子さんもレギュラーで出演していたことなどは憶えていますが、どうも主役を演じた青年の顔が思い出せないんですよね。
 今まで劇団という小さな砦の中だけで生きてきた極楽トンボですから、外に出たのはいいがマスコミの世界など右も左も分かりません。自分のやってきたことだけが正しい(芝居に対する)などと、思い上がって生きてきた、頭でっかちアホウドリ。まして三十一歳にもなった組織を持たない無名の俳優など、誰も相手にしてくれよう筈もなく。どこのプロダクションでもそれはごく当たり前のことで、それこそが現実なんです。自分たちの劇団の中だったからこそ、曲がりなりにも通用していたのであって、世の中そんなに甘いものじゃないし、私など知らないことばかりのずっと広いものなのです。
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by masashi-ishibashi | 2008-06-15 15:38
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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