石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 28

 <プロへのキップ劇団付きへ>
 
 昭和三十三年(1958)秋。劇団が参加し一ツ橋講堂で公演した芸術祭参加作品、三好十郎作「炎の人」(オランダの画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を描いたもの)の舞台が、芸術祭団体奨励賞を受賞したのを契機に、その舞台で画家シニャックを演じた私も、ついてるというかお情けといいますか、劇団付きの研究生に昇格させてもらい、何とかプロへのキップを手にしたわけですが、それこそこれから先がおふざけじゃない本当の艱難辛苦でして、この道を選んだこと、即ちあらゆる意味で生きることの辛酸を、死ぬまで嘗め続けなければならないことだったのだと、この年になって再認識させられていますが、この頃はまだ二十五歳の若さですからそんな損得勘定でものを考えるような、老成したけちな分別くさい考えなどこれっぽっちも持っておりません。貧乏はしていても夢だけは大きく膨らんでしっかり燃えていますから。麻疹にかかった子供みたいなものです。三日麻疹(風疹)なら三、四日で熱も下がりますが、好きが昂じてこじらせてしまった、性質の悪い重症の芝居麻疹ですから、生半可なことじゃ熱は下がりません。下着は古ぼけたのが、上下一、二枚ずつぐらいしかないものですから、洗濯すれば乾くのを待って着用する始末、靴下などは表が汚れれば裏返して履く。ひどいのは踵が露出しおまけに親指が飛び出してる。後になって考えてみれば不潔というかみじめなものですが、その頃は一にも二にも芝居が恋人ですから(格好つけちゃって)、そんなことやらろくなものしか食えないくらい屁の河童。みじめとも苦しいとも思わない。だから臭いのなんのって全くのところははた迷惑。たまりかねた劇団主宰者の故佐々木隆さん(演出家。女優 故鈴木光枝さんのご主人で、また女優 佐々木愛さんのお父さん)が、お古の靴下を二足だったか三足だったかくださったことがあります。
 とにかく当時の新劇人と言えば、よれよれのレインコートがトレードマークといったような、それこそプロレタリアぶったところがどこかにあったようですね。今はまったく様変わりしましたけど。映画出身の方なんかは古い方にお聞きしますと、まるっきり逆だったようですよ。俺たちはお客さんに夢を売る仕事をしてる人間なんだから、たとえ目刺を食ってても(今と違って目刺は貧乏人の象徴みたいなもので、昔は物凄く安かったんです。私も長谷先生に、鰯を食ってれば大丈夫だよなんて言われたくらいですから。でもあれは滋養があっておいしいですよね)身なり衣裳だけは、バリッとしてなきゃだめだぞって言われたそうです。なるほどよく考えてみれば、いやいや考えてみなくても芝居の原点はカタルシス(精神浄化)であって、自己満足というか、自分のマスターベーションじゃないんですから、みなさんに不快感を与えてはいけません。一理ありますよね。これじゃその頃の私などは第一チェックで失格です。
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by masashi-ishibashi | 2008-05-20 15:01
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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