石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 24

  劇団 太陽座


 <セミプロの新劇団>

 私が通った大学は芸術学部という特殊性もあってか、変わった人間が多かったですね。あまり周囲にとらわれずわりと自由に生きていたようです。だから自分が好きというか、興味のある講義は夢中になって受講していましたが、あまり興味のない講義にはわりといい加減で、うまいこと受講票にハンコだけ押してもらって、「我が魂は、いずこの空を飛びおらむ、何か良いことないかしら……」 てなもので、他のことにせっせと精を出してたものです。もちろん、皆が皆じゃありませんよ。学校教育の建前からすれば決して良いことではありませんからね。
 だからこの頃は、学校とは別に、学業の途中から現場活動に入ってしまって、まともに卒業しなかった者が結構います。私なども自慢じゃないがその中の一人ですから、一般常識的な考え方からすれば、あまり大きなことは言えませんけど。
 ま、特殊な学部ではありますし、単位を取得して、学士号といいますか卒業証書をもらうのが目的じゃなくて、この場で何を学び何になるかが目的ですから。第一、学究になろうなんてこれっぽっちも思ってやしません。これはちょっと負け惜しみかな。
 過日、演劇学科の主任教授(時代の移り変わりは速いもので、私よりずっと年下の後輩だった人が、今やすでに主任教授ですから)と研究室で話していましたら、先輩たちの頃は、変わってるというか面白い人が沢山いたけど、最近はあまり見かけませんねって言ってましたが(ま、お世辞も大分あるでしょうけど)、入学試験の合格基準が随分違ってきたのでしょう。
 それはそれとして、私も、昭和三十年(1955)も暮れる頃学友の紹介で、彼が参加していた太陽座という新劇の劇団に入れてもらったんです。
 この劇団の人たちは、みなさんそれぞれに職業を持ちながら、勤務外の時間で稽古をし、春と秋の二回、本公演を打つというシステムの、いわばセミプロの劇団でしたが、幹部の方々は、築地小劇場や舞台芸術学院、それに日本大学芸術学部演劇学科出身の方が多く。学生演劇を脱皮して初めて接する、皆さんの芝居創りの熱気に大変興奮をを覚え、授業料の払いと生活費にいよいよ行き詰まっていた私は、学校を半ば放り出して、どっと芝居にのめり込んでいくことになったのです。
 肉体訓練、発声法、声楽、バレーのレッスン、エチュード、詩の朗読etc。
 職人さんの修行と同じく、頭でっかちの理論より、体で覚える実践だということで、その当時、演劇人の間で盛んだった、スタニスラフスキーの著書「俳優修行」を範とする、スタニスラフスキーシステムとか、ラポポルトの「俳優の仕事」などを繙いて、喧々諤々大車輪。
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by masashi-ishibashi | 2008-05-15 13:53
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