石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 17

 それはそれとして、そのころ私は大学には入学できたけど、生きていくだけが精一杯でして、いつも野菜のアクと泥に薄汚れてねじり鉢巻。例の八百屋さんのお勤めをして学校に通うんですが、毎朝の早朝出陣で眠いのなんのって。まあ、飯を食わせてもらって寝るところも与えてもらっているんですから贅沢はいえません。しかし、学費とか交通費まではもらえないんです。そりゃどう考えたって当たり前の話ですよね。そこでですね、上京する前に稼いだ闇米のお金で入学金の一部だけを教務課の会計に納めて、あとは大きなみかん山を持ってる叔父が親代わりになっているので、すぐに送ってくるからなんて大嘘ついちゃって、いやあ、もう大変、大変。そんなことが通用したんですね。いや、本当に大きなみかん山を持ってる父方の叔父がいまして、私が上京するときに、ちょっとそんなことを匂わせたことがあるんです。実際にはそんな虫のいい援助などしてもらえませんでしたけど、今にして思えばそれでよかったのかも知れません。一人で放り出されたからこそ現在の私があるのかもしれないんです。
 間もなく、学校からは九州の母親のところへ学費の督促がいくし、母親からはお前どうするつもりだって手紙が来る、東京の伯父は助けてくれるどころか、お前まともに働いて親の面倒を見なきゃ駄目じゃないかって、意見をするといった塩梅――。 もう四面楚歌です。 本当に! 私まだ十八歳ですよこの頃。


 <作戦変更・ジェームス三木さんとの出会い>

 これはいよいよ作戦を立て直さなければ駄目だと思いまして、八百屋さんを抜け出し、新橋の烏森にあった、ニュークリッパー(新快速飛行艇とでも言うのでしょうか)というキャバレーにアルバイトを求めていったんです。外観は本当に飛行艇の形をしていて、お客が来るとドアボーイが何名さまご搭乗なんてやるんです。あの頃、新橋あたりから銀座の並木通り一帯は、ピンからキリまで多くのキャバレーが乱立していましたが、ここはまず何といっても女人の館だし、どうせ闇成金どもが沢山集まってきて、金をばら撒くところだから結構稼げるかもなんて、よからぬ下心にニンマリほくそえんだりして――、 (現実は、客扱いがぶきっちょで、月給三千円以外にはさほど儲かりませんでしたけど)。芸術学部には夜間部がありませんでしたので、学費を稼ぐには夜の仕事しかなかったんです(正当化)。

  当時の参考までに。
    もりそば   二十円
    ラーメン   三十円~四十円
    部屋代    一畳・五百円~
    下宿代    一ヶ月・五千円前後
    山手線    一回りしても十円

 あの界隈は当時まだ、白いマフラーを首に巻きつけたアメリカのMP(ミリタリーポリス)が、ジープでさかんに街中を走り回っていたり、また、GI(アメリカ兵の俗称)オフリミットのキャバレーにGIが私服で入ってきて、傍若無人に暴れたり盛り場で血を見ない夜はないような時代でした。
 その店のボーイたちはほとんどが学生アルバイトでして、早稲田、慶應、明治、法政、日大などなど。そのとき一緒にアルバイトをしていた友人に、山下清泉(きよもと)さん、つまり現在の人気劇作家で演出家ジェームス三木さんがいたんです。それこそ彼の言葉を借りて格好よく言えば、青春の挫折と苦悩に喘ぎながら、それでも一筋の光明を求めて、お互いに焦っていた時代で、彼の下宿(これが新宿区戸塚町にあった産婦人科医院の二階で、芸大浪人などと三人で間借りをしていました)で飲んでそして喋り、果てには泊り込んだりもしたもんですが、そのうちなんとなく別れ別れになってしまって――。 しかし本当に奇縁といいますかそれから三十三年ぶりに、お互い五十代になってあるパーティーの席で思いがけなく再会したんです。この巡り合わせにその夜眠れないほど大変感激したものです。
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by masashi-ishibashi | 2008-05-02 17:49
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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