石橋雅史の万歩計

負けるわけにゃいきまっせんばい! 16

 まったく皮肉なものでして、親戚などから餞別までもらいいざ出発という段になって、東京の伯父からちょっと待てと待ったがかかっちゃつた。当てにしていた会社が妙ないきさつになってしまったから、今来られても困るというんです。
 そんなことを言われても私だって引っ込みがつかないというか、立つ瀬がありませんよ。
 がっかりしましてね――。 しかし、なんだかだと言っても仕方がありません。そんな成り行きを、周りの人たちに言い訳がましく説明し頭を下げて歩いていましたら、東京のN大学に行っていた友人(私の遠縁に当たる男ですが)が、とにかく出て来いよって言ってきたんです。今、下宿している八百屋のオヤジさんが面倒をみてやると言ってるからって。
 貿易商社と八百屋さん。職種はまったく違いますが生きるための仕事に貴賎はありません。将来なにか自分の生きる道を掴むまでのプロセスですし、適性であるとか無いとか今は関係ないんです。むしろ滅多に出来ないいい経験だと思えばいいんですから。人間何時でも、直面した事態をプラス方向に転化していかなければ生きていけませんからね。何時もその時の判断と決断ですか――。 後へ引いたらアンダードッグになるだけですから。前進あるのみです! 過ぎ去ったものはもう戻ってきません。どうサイコロの目が出ても、自分の人生は自分で解決して生きていくしか方法は無いのです。
 それこそ「人生、 今日もいのちがけ」って奴ですよ。私は今でもこの言葉をよく色紙に書きます。


 <八百屋の小僧 ・ 日芸へ>

 そんなことで結句、八百屋の小僧さんになりまして毎朝四時ごろに起き、オヤジさんの後ろにくっついて淀橋の青果卸売市場に出かけます。そしてオヤジさんが競り落とした果物や野菜を小型トラックに積み込んで帰ってくる。それから朝飯を食べて、店に着いた野菜類を並べるわけですが、あれは夏はまだいいですけど冬はたまりませんね。吹きっさらしのところで結構水を使いますから、手が霜焼けになったりして紫色のぶよぶよ。ま、そんことはどうでもいいんですけど。
 こんなことだけで明け暮れていたのでは本来の目的が果たせない。
 そうこうしているうちに待ちに待った第一のチャンス到来。日本大学の芸術学部で後期編入の学生を募集したんです。いきなり後期からだなんて変に思われる方もいらっしゃるでしょうけど、昭和二十七年(1952)ごろの日芸にはこういうシステムがあったんですね。
 さて、朝の青果卸売市場と夕方の忙しい時だけ手伝ってくれれば、あとは学校に行ってもいいというオヤジさんの寛大な好意に甘え、ともあれ九月から入学できる後期編入試験なる大難関を突破して! 嘘、嘘、あの頃は並みの頭さえあれば誰でも入れるようなところだったんですよ。あとで聞いたら教務課の職員が、君たちの倍率は十一倍だったんだぞなんてにやついていましたが、大法螺のこんこんちき大はったり。
 しかし、今日日あそこに入るのは至難の業らしいですよ。
 昭和二十七年度(1952)に入学した演劇学科の出身者で、二七会という会を作ってたまに皆で会っていますが、この二十七年度入学の学友からは、広告業界、プロデューサー、俳優、声優、作家など沢山の人材が出ました。博報堂の第五営業局長になった西尾幸男。日本テレビで「新伍捕り物帖」などをプロデュースした森田義一。俳優の宍戸 錠、嵐 徳三郎、ケーシー高峰、砂塚秀夫。声優の飯塚昭三、小林清志。作家の赤江 漠など。末席に私も加えてもらいますか。もちろん、他の仲間たちもそれぞれに青雲の大志を抱いてこの学び舎を巣立ち、いろんなジャンルで逞しくまたユニークに活躍しているわけですが、誰もが個性的で且つ魅力的でした。輝いていましたよ。だからといって、みなさんそれほどの生真面目人間でもなかったような気がしますけどね。しかし皆それぞれに青春を賭けて一途に燃えていたことは確かです。
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by masashi-ishibashi | 2008-05-01 17:50
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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