石橋雅史の万歩計

傘寿

今朝も冷えましたね。今日は午前中みんなで空手の稽古をした後、「いぶき会」の仲間と、「ウエイトトレーニング」の仲間に傘寿を祝う会を催していただきました。私ごとき者にと思いながらもやっぱりみんなの気持ちがほんとうに嬉しかった。ありがとう。
早いですね。なんだかだと人生の荒波の中でもがき抗っているうちに、気が付いてみればあっという間の八十年です。振り返ってみればいろんな感慨が交錯します。日本の植民地だった台湾の東海岸花蓮港で生まれ、台東、台北、台南と父の職業柄移り住み、旧制中学一年生(最後の軍事教練を受けた世代ですね)の年、昭和20年8月15日に太平洋戦争が終結。現地の人にいろんないやがらせを受けて、翌、昭和21年3月敗戦国の民として裸一貫で九州に引き揚げ。中学一年生に再入学。新聞配達、石切り場の人足、漬物工場の手伝い、駄菓子を作って、駄菓子屋さんに卸てまわったりのアルバイト。それでもなんとか高校には行ったのですが、三年生の5月に父親が五十一才で亡くなり万事休す。それでも周りの人たちに助けられ、高校を卒業して東京に出てくることになるのですが、さあこれからがまた大変。八百屋の小僧さん、キャバレーのボーイ、パチンコ屋の店員、鉄くずをプレスした塊をトラックに積み込む荷担ぎ人足。部屋代が払えなくて放り出されベンチで寝たり。それでも必死になって生きることにしがみつき芸術学部の演劇学科に通ったんですね。勿論、空手の師範代理もやりましたよ。こんな中で人の情けも裏切りも体に染みつくほどに知りました。そしてまた素敵な友人との出会いもありました。ジェームス三木さんもその一人で、演劇学科のクラス仲間にも宍戸錠やケーシー高峰、嵐徳三郎などがいます。ともあれ俳優を志して今日まで山あり谷ありの連続ですが、まあ、蟻地獄に落っこちたみたいに谷底を這いずりまわっていたほうが多いですね。でもそういう生き様から生まれた人生観が私という俳優を皆さんに認知していただけたのじゃないかなあと、この年になってふっと考えます。だから私は「人生 今日も命がけ」という言葉と「心優しく辛抱強く 人間味溢れる人生を」という言葉を座右の銘として大切にし、よく色紙にも書きます。これから先何年生きるかは神のみぞ知るですが、人間としての滋味を大切に弱音を吐かずに頑張ります。みんなで一緒に頑張っていい人生を生きましょうね。
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by masashi-ishibashi | 2013-01-12 22:14
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俳優石橋雅史ぶらぶら日記
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